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2011. 11. 25
- 27  鈴鹿主脈縦走 



鈴鹿は、愛知川源流域を歩くことが多いが、少しは稜線も歩いてきた。1998. 9に武平峠=御在所、2006. 6に鈴北岳=御池岳=藤原岳、2009. 12に羽鳥峰=水晶岳=国見峠、2010. 4に国見峠=御在所山=鎌ヶ岳といった具合だ。今回はそれらの欠落部を埋めるため、羽鳥峰=藤原岳を歩いて締めくくることにした。このあと、鎌ヶ岳=仙ヶ岳が残るが、ここで打ち止めにして、愛知川源流を楽しむ方を選ぶかもしれない。


同行: 単独

2011 .11 .25 朝明渓谷から八風峠まで  

コースタイム

0935 朝明渓谷駐車場、1008-17 縄ダルミ、1055-1115 羽鳥峰峠、1224 猫岳(1058)、1257 釈迦ヶ岳最高峰(1092)、1305 釈迦ヶ岳三角点、1325-44 休憩、1414-23 仙香山(983)、1426-30 中峠、1444 八風峠

快晴の近鉄沿線からは津手前の岩田川から笠取山、磯山手前の中ノ川から仙ヶ岳がそれぞれ正面に見え、白子あたりから鎌ヶ岳や御在所山を中心とする核心部が見えるようになる。とくに伊勢若松前後では邪魔するものがなくなる。湯の山線からの展望はいくどか見ているが、この日も申し分ない展望。湯の山温泉駅から朝明渓谷駐車場までタクシーに乗る。この日のテント場は水がないので、縄ダルミのところで1.6Lだけ水を汲んでおく。あと10分ほど歩いた堰堤の所でも水はあった。沢にはたいそうな補強工事が施されているが、それにも増して自然の威力は大きく、かなりのダメージを受けている。

羽鳥峰峠につき、風をよけて中食をとる。空は青く澄み渡っているが、白い雲がかなりの早さで東に飛んでいく。典型的な冬型の気圧配置らしい。羽鳥峰峠から少しヒロ沢へ下りてみた。青いアキチョウジが少しだけ咲いていた。前の記憶通り、すぐに水の流れに出くわした。羽鳥峰の上に登ってハライドと国見方面を眺めたのち、縦走へと向かう。白滝谷への分岐の少し手前でも水が流れていたが、大した登りでもなかったので、さきほどの所で汲んでおいて損したという気にはならなかった。

進むにつれ、釈迦ヶ岳や国見のうしろの御在所が見え始める。目を右に転じると雨乞山やイブネが見える。スミレやアザミの色あせた花が秋のわびしさを醸し出す。4組6人の日帰りの人達とすれ違う。やがて猫岳。その後、縦走路から離れたP1080+に立ち寄る。何本ものテープがあったので、気になったのだが、とくに何もなかった。そして釈迦ヶ岳の三差路。右手が最高峰で、左手に三角点峰がある、このような例はあちこちにあるが、最高峰に三角点をつけないことが少なくないのはどうしてだろうか。空模様が悪くなってきたが、それでもなんとか御在所の山上公園、三角点、御在所から張り出すP1155、七人山、東雨乞、雨乞、イブネ、大峠の頭、銚子ヶ口などが指呼できた。さらにその右にも日本コバ周辺のものが見えるているが雲がかかっている。




左から御在所山の山上公園1200m+、三角点の1210m、P1155のあと落ち込んで、
七人山1073m、東雨乞岳1220m+、雨乞岳1238m(釈迦ヶ岳から)

北に向かうにつれ、青空の占める割合がどんどんと狭くなってくる。小粒の雨がパラパラとかかり、行く手の三池岳方面に雪雲のようなガスが慌ただしく流れている。右手を見ると福王山の上に虹がかかっている。水滴がある証拠だ。風が冷たくなり体が冷えてきたので、立ち止まって手袋と上下の雨具を身につける。それでも少しガタガタと震えがきた。




福王山の上に架かる虹



尾根道は枯葉のじゅうたん、左はアセビ、ヒメシャラ、コナラなどの疎林、右手は切り立った崖といった非対称な姿。これは先日読んだ平朝彦の「日本列島の誕生」という本に書かれていた「近畿の山はいずれも片側が急で、一方がゆるやかな傾動地形という非対称地形」という記述と一致。しかし、それがどうしてかということが素人に分かるように書いてなかったのが残念だった。やがてか細いがしっかりした水流が左からあらわれ、右手の崖へと流れ落ちていた。仙香山の標識が出てくる。山頂は道から離れているはずなので、踏み跡をたどって登っておくが、とりたてた特徴はない。しかし、三池岳より標高は高い。すぐに中峠の標識があり、八風渓へ下る道も一応認められる。ひと登りし、下っていくと八風峠につく。





縦走路(八風峠の少し南)


かなり雪も大粒のものになってきたが、濡れる前に鳥居のそばの平坦地になんとかテントを張ることができた。気温は1℃で、外でバーナーをつけると火力がすぐに弱くなる。テント内でつけるとすぐに温度が8℃まで上がった。今回はつゆ付きのうどん鍋を持ってきたが、どのみち水を持ち上げないといけないので、つゆをもってきても同じこと。正解だった。鮭の切り身は一つでは物足りないので、鶏肉を追加したがこれも正解だった。豚肉のように使用後の鍋が脂っぽくならない。トウフは崩れてしまいどこにあるのか分からなくなった。雪が小やみになりテントの外に出して調理ができたので助かった。18:00前にすべてが終わる。


2011.11.26 八風峠から旧茨川村まで

コースタイム

0701 八風峠、0717 三池岳(972)、0903-23 石榑峠、1004-10 重ね岩、1043-1133 竜ヶ岳(1100)、1149 裏道分岐、1244-48 静ヶ岳(1089)、1352-56 銚子岳(1019)、1445 治田峠、1530 茶屋川合流点、1540 旧茨川村

4時過ぎに目が覚めた。しばらくするとガスがうすれ星空が現れる。冬の大三角が西の空に沈もうとしていた。下界の夜景もきれいに見える。テント内3℃、外は−4℃といった温度。どうも最近は出発までの時間が長い。とくに急ぐことのない予定だったこともあるが、食後のお茶を飲み終わってから出発までに1時間以上というのは少し遅すぎる。八風峠から滋賀県側に下る道があるかのような標識の書き方だったが、道はすこぶる薄い。その代わり、八風峠から三池岳の方へ進むと、滋賀県の八風谷キャンプ場への新しい道標が立っており、道もしっかりしているようだった。

やがて、三池岳974mという立派な標識。とくにゆっくりしていたのでもないが、昭文社のコースタイムの0:10に対して0:16かかってしまった。予め気をつけていたのにうっかりしており、少し南東に行った所にある三角点で最高峰のP971.5に行かなかった。この立派な標識の所は中峰というらしい。下から見ていて大きな木がある所が最高峰かと見当をつけていたが、やはり中峰には木はなかった。地形図から見ても中峰は971.5mより低いはずだが、どこから974mという数字が出てきたのやら。

またガスがかかっており、周りの状況がよく分からないままに縦走を続ける。いくつかの小ピークを越えて行く。相変わらず右手には急に落ちこむ崖が続く。シカの声を聞く。狂い咲きだろうかバイカオウレンがひと株だけ咲いていた。周りが明るくなりはじめ、東も西もだんだん見えるようになってきた。振り返ると三池岳、さらに釈迦ヶ岳から張り出す尾根が日の光を浴びている。P792を過ぎると竜ヶ岳が初めて頭を見せた。赤い実をいっぱいつけた木が輝いている。ガマズミだろうか。葉がないとわからない。下に石榑峠が見えるようになると、ますます竜ヶ岳は鮮明に見えるようになる。かすかに残っているガスが一段と引き立てている。のっぺりとしたとりとめのない山容ではあるが好感がもてる。



竜ヶ岳に日差し


石榑峠の上に竜ヶ岳



下にトンネルができたので使われることも少なくなったが、酷道として名をはせた421号線に降り立つ。今は大型車を封鎖するために作られていたコンクリートの門柱を通ることもできない。三重県側は分からなかったが、滋賀県側には3台ほどの車が止まっており、簡単な中食をとっていると、さらに2台がやってきた。この季節でもかなりの人気があることを物語っている。もっともこの日は快晴になった土曜日ということもある。

登るにつれこれまで歩いてきた三池岳からの稜線が見え、奥にはうっすらと釈迦ヶ岳だか御在所山だかが頭を覗かせている。銚子ヶ口から日本コバ方面も実に鮮やかに見えている。ひと登りで眺望がよい重ね岩につく。暑くなってきたので荷物を下ろしてTシャツ一枚になる。




左から遠くに黒尾山、日本コバ、手前は割山、不老堂、P754m (重ね岩から)



そのあと急坂を上り終えるとゆったりとした笹原の中に延びる登山道を頂上に向かって歩くようになる。前日の雪が少し残っている。台地のような頂上が見えるようになり、そこで憩う10人ばかりのハイカーの姿が空を背景に浮かび上がってきた。



竜ヶ岳の広々とした頂上

頂上に出る前からいくつかの予兆はあったが、広い頂上広場にでるとますますすばらしい光景が広がっていた。ちょうど昼食時で15人ほどの人が思い思いの場所に散らばっていた。御池、藤原のうしろに白山、北アルプス、御嶽山、中央アルプス、恵那山と連なっている。目では分からなかったが帰宅後に写真を大きくしながら調べると、北アは立山から乗鞍岳まで見えていた。鈴鹿南部はもちろんますます明瞭になってきた。ここにある方向指示盤も間違いが多かった。入道ヶ岳、鎌ヶ岳、仙ヶ岳の名前があったが、これらは多分見えていない。間違いではないが、乗鞍岳以北の北アルプス、中央アルプス、恵那山の名前が書かれていないのは残念だ。一通り眺め終わると、東南を向いた斜面に腰をおろす。日も射しているのでテントを乾かしながら、昼食。時間があるのでスープを作り、手製サンドイッチを頬張る。50分もかけた贅沢なひとときを過ごし、腰を上げる。



竜ヶ岳からみた藤原岳

同じような笹原の道を下っていく。裏道登山道との分岐まではそこそこの人と出会ったが、分岐以後は急に静かになる。道も悪くなり、歩きにくいトラバースとなるが、長く続かない。尾根道に出ると気持ちのよい道となる。前方に静ヶ岳のすっきりとした姿が見える。静ヶ岳の分岐についたとき、地形図には往復する道しか書いていないが、おそらくは直接縦走路に下りることもできるのではないかと少し迷う。それならザックを持ったまま登る方が楽だ。しかし、万一引き返すことになると馬鹿馬鹿しい。結局は荷物をデポして空身で登る。

頂上に着いて驚いた。静かな山のはずが、なんと44人の団体で占拠されていた。御在所、雨乞の右に綿向が見えたので、足の踏み場もない所をかき分けて写真を一枚だけ撮っておく。彼らに聞くと、やはり直接縦走路に下りることができるらしい。早々に退却して、デポ地に戻り、久しぶりに尾根道ではなく広い林の中をテープを探しながら歩く。やがて正面に崩壊地がいくつかある銚子岳が迫ってくる。その右の孫太尾根の向こうに養老山地、さらにはアルプスがうっすらと見える。分岐で今度は迷わずに荷物を置いて頂上へ往復する。地図にある通り、起伏のない尾根を7分歩いて頂上につく。ますます近づいた感のある藤原岳が木の間から見える。分岐に戻る途中で、先ほどの44人の大軍とすれ違い一苦労する。邪魔になるのは大して気にならないが、どこに下りるのですかと聞いても答えられない人もいるような大軍を連れて歩くリーダーの「勇気」に感心する。低山とはいえ11月の末。実際前日は午後から急に雪模様に変わったのだ。


治田峠へ下りる直前で滋賀県側に2分下りると水場があると読んでいたので、注意して歩く。ここかなと思う所はあったが、とても2分という距離ではなかったのでパスしたが、多分そこだったろう。治田峠に降り立った。ここでテントを張るのが最も効率がよいが、1965年に廃村になるまで電気も通じていなかったという茨川の廃村を訪れたかったので、急なジグザグ道を谷へ下りていく。10分下りると伊セ谷のきれいな水流の所にでた。ここで水汲みをして治田峠で泊まることも可能だ。その後は穏やかな沢沿いの道となる。昭文社の地図には荒れていて、迷印がついているが、そんなことは全くなかった。何度も沢を横切りながらやがて広い道となり、茶屋川に到着する。対岸に林道があるが、ちょっと見ただけでは渡る所は見あたらなかった。伊セ谷をまたぐとそこが廃村で、3軒ほどの家屋が残っていた。もっと沢山あるかと思っていたが、後はきれいに片づけられていた。そのうちの1軒が現在名大ワンゲル部の小屋として使われており、部外者にも開放されているという。テントより寒いかなとは思ったが、他の点では圧倒的に利点が多いので、使わせてもらう。この日も時間がたっぷりあるので、気分が豊かになる。




旧茨川村に残った家屋の一つ


2011.11.27 旧茨川村から藤原岳を経て西藤原駅まで

コースタイム

720 旧茨川村、835-47 引き返し点、910-15 二つの沢の合流点、920-25 最後の水場、943-48 治田峠、1037-50 蛇谷分岐、1225-1300 県界尾根、1309-15 藤原岳展望台(1147)、1333-40 藤原山荘、1404-13 天狗岩(1171)、1439 藤原山荘、1510 八合目、1607-12 神武神社、1620 西藤原駅

5時前に起きると、星はかすかに見える程度で薄曇り。室内0℃、外気−1℃。食事、お茶、トイレ、掃除、日誌記入などとゆっくりして、また出発まで2時間半以上。

同じ道を引き返すので気楽だと思ったが、それが間違いの元だった。前日下ってきて初めて水流を認めたところで、水を汲むつもりだったのに、そこに着いていないのに急な登りとなる。あっという間に沢から20m、30mと高くなっていく。前日の道なら右手に沢が見えないといけないのに、左に見えている。おかしいなと思いつつ、しっかりしたテープや赤いぺぐがあるので、うっかりついて行ってしまった。ある地点で突然、道もテープもなくなってしまう。大した林の中でもないのにGPSは働かない。いずれにせよ間違ったことは確かなので、来た道を戻る。しばらくは同じ道を歩いていたが、すぐに道をはずしてしまう。鈴鹿の奥座敷で経験したようなことの繰り返しだ。やがて下に沢が見えてきた。目を凝らすと右側に流れている。この沢のできるだけ下流に下りようと、右方向へトラバースしながら下っていく。やがて2つの沢の合流点に降り立った。思っていたようにこの左俣の沢の方に進まないといけなかったのに、両沢の間の尾根を登ってしまったのだ。右俣の方が倍程度の水量があったので、左俣を見過ごしてしまった。左俣の右岸にはしっかりとした山道がついている。5分ほど登った所が水汲みを予定していた水場だった。一応水を補給したあとジグザグの急登を経て20分足らずで治田峠に着く。ほぼ1時間5分のロスだった。いくつも反省点がある。(1) 前日歩いて何の問題もない楽勝コースというイメージが強すぎたので、GPSもオフのままで歩いた。(2) おかしいなと薄々気がつきながら、深く検討しないまま間違いを続けた。横山岳のときと同じだ。



治田峠から見る藤原岳

治田峠から藤原岳のコースが、厳しさという点で今回のハイライトらしい。気を引き締めて、GPSもチェックしながら出発する。時間は早かったが、蛇谷への分岐という標識のある気持ちのよいコルで一息入れる。P965への有るかないかのような道をわけて、トラバース道に入っていく。ここからの地図を読み間違っていた。トラバースを終えるとP965からの尾根に出てそのまま藤原岳へと進むだけと思っていたので、なぜそのような尾根で皆さんが迷うのかと不思議だった。ところが実際は尾根には出ず、尾根の山腹を延々とトラバースするような感じで860mから1120mの標高まで登るのだった。そのためテープがないとなかなか道が分からない。そこで登場するのが、以前にオゾ谷からワサビ峠への道で見たライトブルーの長いテープと全く同じようなピンクのテープ。好意で付けたのには違いないが、場合によっては10m間隔でぶら下がっているというのはいかにも見苦しい。それ以外に十分のマーキングがあるというのに。ごく最近つけられたらしい。

後ろから茶屋川林道を茨川村まで車できて、日帰りするという人が追いついてきたので、しばらく一緒に話をしながら歩く。岩の道ならどうということないが、傾斜もある上、滑りやすい道なので結構大変だった。蛇谷分岐から1時間半で尾根に飛び出した。読み間違っていたので、そこからまだしばらく登ると思っていたが、実際はもう頂上のすぐ下だった。石灰岩が庭園のように配置されていてとても落ち着く。日曜なので頂上は人も多いだろうと、ここで昼食とする。P1009.6までの間に広がる平原がイブネを思わせるのどかさだ。孫太尾根、遠足尾根の向こうには歩いてきた峰々、かつて歩いた峰々がつながっている。左端に雲母峰、釈迦ヶ岳(三池岳)、御在所山(竜ヶ岳)、雨乞岳、綿向山(静ヶ岳)、銚子岳が一枚のフレームに収まる。イブネ、クラシ、銚子ヶ口は隠れているのだろう、はっきりしなかった。すぐ上でも二人連れが食事をしていたが、そのうちの一人は先ほどの人だった。もう一人は大貝戸からの日帰りの人で、テント山行に関心があるらしく、少し話しこむ。日帰りだが訓練に10 kg の荷物を持ってきたと言っておられた。こちらはハト峰までの登り時点で最も重かったと思うが、せいぜい12-3 kg 程度。

少し登って展望台につく。数人の人が憩っていた。ほんの少し登っただけだが、竜ヶ岳、静ヶ岳は遠方の稜線より低くなっていた。それに綿向山から右手がすっかりと見えるようになり、御池岳、天狗岩、藤原山荘から養老山地まで見えるようになったので、またザックをおろす。展望台といわれるだけのことはある。




御池岳と天狗岩(藤原岳展望台から)


この後はかなりぬかるんでおり、歩きにくい道となる。かなりの人とすれ違う。すぐに藤原山荘に着く。避難小屋が開いているので様子を見ておく。前に来たときは、誰もおらず閑散としており、覗いてみる気も起こらなかった。広い土間に机とベンチがあり、二階に板の間でもあるのだろう、階段がついていた。水さえあれば十分使える小屋だ。秋吉台のような石灰岩の台地を通り抜けて前回通り過ぎてしまった天狗岩に行っておく。




藤原小屋近くのカルスト台地

何しろこの辺の最高地点なのだ。白瀬峠への分岐にはしっかりとした標識があった。これがあれば前回も見逃すことはなかったろう。ここから見ると藤原展望台が美しいピラミッドとして見えるので驚いた。最高点から少し行き過ぎると展望が一段とよくなる。御在所の影も午後のもやですっかり薄くなってしまった。紫色の小さな花があった。天狗岩に来るときはかなりの人とすれ違ったが、帰りには誰にもあわず、この日最後の登頂者だった。

山荘にはまだいくつかのグループが残っており、下山は最後ではなかった。ここから大貝戸へ下る方向指示盤は設置されていない。9合目より上だったと思うが、小さな子どもを連れた家族がバラバラになって、まだ上を目指していたので、「暗くなるのは早いですよ」と声をかけておく。3合目あたりで膝を痛めてゆっくりと下りていく高年者を追い越す。ヘッドランプを貸すことなどが頭に浮かび、「なにか助けることがありますか」と聞いたが、「ゆっくりでも歩けるので大丈夫」という返事だった。多分真っ暗になる前に危ない道は終わるだろうとは思うことにした。下山して前にもお世話になった神武神社の境内の水を使って、顔、手、靴を洗い、手ぬぐいで体を拭いてすっきりとする。例によって最後の標識がないので、念のため土地の人に聞きながら駅に向かう。

西藤原駅16:37の三岐鉄道に乗車し、しばらくの間夕暮れの鈴鹿のシルエットを楽しむ。ターミナルなのに富田駅には食事のできる所はなにもなく、四日市に出てから特急券を買ってから夕食をとる。帰宅は21:20。帰宅すると患っていた姉の死亡通知が待っていた。



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