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11. 07. 29 - 08. 01  至仏山 


鳩待峠から尾瀬に入り、至仏山から笠ヶ岳を縦走して湯ノ小屋温泉に下りたのち、ついでに武尊山を越えて花咲まで歩くというやや複雑な3泊4日の山行を計画した。一度下山してからまた別の山に登り直すというのは気力が要るかなとは思ったが、尾瀬だけでは少し淋しかったので考えてみた。結果的にはそれどころではなかった。


同行: 単独

2011. 07. 29 鳩待峠から富士見峠、竜宮小屋、山の鼻へ

コースタイム

0849 鳩待峠、0955-1010 横田代、1027 中原山(1968b)、1030-40 アヤメ平、1055-1130 富士見小屋、1225 長沢の頭、1333-1400 竜宮小屋、1436 牛首、1510 山の鼻

沼田からのバスは河岸段丘の上を走っていく。赤城山がガスの中に辛うじて見えていた。鎌田で富士見下行きのバスに乗り換える。当初は富士見下からの登りを考えていたが、アヤメ平にも行ってみたかったので、それなら鳩待峠を起点とした方がよさそうと、戸倉で再度マイクロバスに乗りかえて鳩待峠まで行く。2度も乗り継いだが、大変スムースにいった。大したことはないが雨が降っており、バスが着いた峠の広場は閑散としている。




閑散としていた鳩待峠

富士見峠への道へ歩き始める。誰も歩いていない、よく整備された平坦な道を進む。ゴゼンタチバナが林内を彩っている。やがて出た横田代はキンコウカが敷き詰められていた。オトギリソウ、ニッコウキスゲ、ネバリノギランもちらほら。田代をゆっくりと歩いて横切るのに15分ほどもかかるほどの広さだった。中原山の標識がでたあとにアヤメ平が広がっており、そこもキンコウカが一面にあった。キンコウカの葉をアヤメと間違えてつけられた名前と説明があったが、長くても一年待てば間違いに気付いただろうにと可笑しかった。東電が植生の維持に頑張っている説明板があったが、原発事故は尾瀬にも影響を与えるのだろうかと気になった。そこを過ぎると、当然だろうが急に違った植生に変わるのが面白い。下りに差しかかり滑りやすい木道で何度か尻もちをつく。幸い足に問題になるようなこけ方ではなかった。




横田代のキンコウカ

富士見小屋に着くと、ちょうどよい時間だったので、小屋で雨宿りをさせてもらいながら、昼食とする。親切にもちょっとした山菜の漬物付きの熱いお茶を出してくれる。スパッツの紐が切れたので、手持ちの紐で代用する。中高年夫婦が入ってきて、富士見下からバスに乗れるかと聞いている。小屋の主人が1時間半で下りられるので、1時過ぎのバスに乗れると教えておられた。やはりお茶を出してもらって飲んでいるので、「その次のバスは2時間半後になるので急いだ方がいいですよ」と言っておく。1時間半というのがなんとなく持っていたイメージと違ったが、地元の人の言葉なので黙っていた。帰ってから案内図を見るとやはり下りで2時間半となっていた。間に合っておられればよいのだが。

お茶のお礼に手持ちの立派な笹かまを一枚進呈する。来た道を少し戻り、尾瀬ヶ原に向かって下る。地形図通りの緩やかな道が続くが、長沢の頭あたりから傾斜が急になる。尾根道を歩いているはずなのだが、道は川と化している。トムラウシを思い出し、ちょっと嫌な予感がしたが、まあ温度も低くないのであの二の舞はないだろうと考える。賞味期限の切れたゴアの雨具はないも同然で、靴の中を含めて全身が濡れてしまう。やがて下の方に原がガスに煙っている様子が木の間から 覗けるようになる。右手を流れる長沢は轟々と音を立てている。そしてとうとう原に出た。




川となった登山道


なんという開放感であろう。ああ、またやって来たという喜びがひしひしと湧いてくる。濡れていることなどは些細なことだ。十字路で山の鼻から来た女性と一緒になり、「自分たちも富士見経由で来たかったが、危ないと言われたので山の鼻経由にした。どうでしたか」と言っておられた。少し右手にある竜宮小屋で休ませてもらう。靴下を絞ったり、カロリー補給をする。小屋泊まりの高年夫婦が到着したばかりだった。どこを歩いてこられたのかは聞かなかったが、二人のシャツが全く濡れていないのに愕然とする。この雨具も大分我慢してきたが、やはりそろそろ買い換える時期らしい。初めて着たのは1997年の会津駒ヶ岳のときだったが、大雨にびくともしないので感激したのを鮮明に覚えている。

ここからヨッピ吊り橋方面の道は通行不能ということで、考える余地なくまっすぐに山の鼻を目指す。四つ辻から少し進むと木道が水に浸かっているところが出てきた。一部ではプカプカと浮いており、舟の上を歩くような感触だった。そこを過ぎるとあとはそれほどのところはない。雨も小降りになり、次々と現れる花の写真を撮る余裕も出てきた。オゼミズギク、ミカヅキグサ、オニシモツケ、サケバサワヒヨドリなどは初めての花ではないだろうか。ネジバナのピンクはどうだ。これまでにこんな鮮やかなネジバナを見たことがない。ヒツジグサも鮮やかな白を誇っている。ホソバギボウシ、キンコウカが多く、クルマユリ、ニッコウキスゲ、ドクゼリ、クガイソウ、ミツガシワ等々。一部は尾瀬ヶ原が尾瀬ヶ海となっている。至仏山も下半分が見えるまでになり、登山道らしきところが滝のようになっているのが分かる。



尾瀬ヶ原に到着




水浸しとなった尾瀬ヶ原

山の鼻について、テントを張りたいというと、昨夜も雨がすごかったのでテントの人は休憩舎の中に張っていたが、今日もそれでいいですよと言ってくれた。炊事場近くに適度の傾斜をもったサイトがあったので、雨も小降りになったし、そこに張ろうと一旦決め、準備を始めた。あとから来た若い二人連れは屋根の下に張り始めた。やはりその方が安心できそうなので休憩舎の方に移る。休憩舎には大きなテーブルや長椅子、さらには濡れたものを干せる紐もあるので、はるかに居心地がよい。とくに食事を作り、食べるのに便利。おまけにまたヘッドランプの電池切れというへまをやったので、至仏山荘の明かりが届くのがありがたかった。ほぼ熟睡していたが、ときどき眼が覚めるとすごい音で雨が降っていた。この雨は局所的に限られた時間に集中して降ったらしい。屋根の下にしてよかった。



休憩舎の中にテントを張らせてもらう



2011. 07. 30 山の鼻停滞

コースタイム

0705-40 植物見本園の一部散策、1240-1330 上ノ大堀川まで散策

ややぐずついた空模様だったので、出発を延ばしていたが、何とかなりそうだったので、パッキングを済ませ、山荘に礼を言いに立ち寄ると若い女性の職員に猛烈に反対される。「新潟・福島の豪雨で10万世帯以上に避難勧告が出されており、すぐそこの登山道も木道が流され、がけ崩れがあり、鳩待峠との間も通れない。戸倉・鳩待間もバスが通れなくなっている。至仏への登山道がどうなっているかさえ分からない。いわんや笠ヶ岳方面は全く情報がない」とのこと。「駄目なら鳩待峠に下りる」というと、「鳩待に下りてどうするのですか。バスもないしタクシーも来ませんよ。もちろんテントも張れない」と。それだけ言われれば、止めざるを得ない。たまにはそのような日があってもよいかと、忠告に従うことにする。靴を履いているうちにと、植物見本園の方へ散歩に行く。途中まで行って、「熊さんのために鈴を鳴らしてください」という標識の先が水浸しになっていたので、無理することはないと引き返す。もう一度テントを張り直して落ち着く。やることがなくて時計がなかなか進まない。9時のラジオのニュースを聞く。総雨量が650 mmを超えた所や、1時間雨量が80 mmの所があるなど、記録的なものらしい。若干中心から離れているので助かっている。水上・藤原間の道路も閉鎖され、孤立した部落が出ているとも言っていたので、翌日の天気に関わらず、笠ヶ岳越えは取りやめということに決める。

鳩待への道の被害状況を見るために5分ほど歩く。確かにひどい状況で、これではとても沢を渡ることはできない。山の鼻の人たちが検分にきており、どのように復旧すればよいかを相談しておられる。その後、ビジターセンターで花の名前などを調べていると時間が過ぎていく。



流された木道の検分作業

ゆっくりと昼食を終えたのち、スリッパのままで木道伝いに原の方へ散歩に行く。ほとんど雨もないので、気持がよい。ときどき検分に来ている職員と行きあう程度。前日に気がつかなかった花や、ゆっくりと腰をかがめてカメラを構える気になれなかったものなどをゆっくりと見ていく。ミヤマワレモコウ、タカネアオヤギソウ、実だけになったコバイケイソウなど。

大雨の跡もすごかった。橋の上にも多くの流木や草が乗っているし、きれいなはずの池塘も茶色に濁っている。イネ科の背の高い草が広い範囲になぎ倒されている。至仏山がやはり下の方だけ見えているが、昨日見た滝のような白い帯は消えていた。上の大堀まで行って引き返す。戻ってから、木道の復旧作業が始まっているというので、様子を見に行く。15人ほどだろうか、職員総出で木道を使えるようにしている。流された木道を持ち上げるだけで8人は必要。それを水の中を滑らせて元の位置に戻している。そして仮固定。テントを張っていたボーイスカウトの青年2人も川に入って、水路の確保に汗を流していた。こちらは参加しても邪魔になるだけなので、遠慮しておく。





尾瀬ヶ原の中の川上川に架かる橋





山の鼻近くの木道の復旧作業




2011. 07. 31 至仏山から鳩待峠を経て山の鼻へ

コースタイム

0602 山の鼻、0650 森林限界、0904-30 至仏山(2228b)、1019-24 小至仏山(2162b)、1106三差路、1119-24 悪沢岳(2043b)、1136 三差路、1254-1310 鳩待山荘、1412 山の鼻

天候は一応回復した。軒下のツバメも嬉しそうに声をあげ、飛び回っている。雛が目の前にうずくまっている。これに触り、人間の匂いがつくと親鳥が育児放棄をするので、触らないで下さいという注意書きがある。「停滞していた人達を集めて、前日に仮復旧した道を鳩待峠まで誘導し、バスは開通していないが、特別仕立ての車で戸倉まで送ることになった。それに加わるか」と聞かれたが、時間にも食料にも余裕があるので、もう少し滞在すると答える。この日は、さしあたり至仏を目指し、歩けない所がでてくれば、そこから引き返すし、問題なければ小至仏、悪沢岳、さらには笠ヶ岳の方まで足を伸ばし、鳩待峠経由で戻ることも考えてみる。その後山の鼻でもう一泊し、最後の日は尾瀬ヶ原を横切り、尾瀬沼、三平峠経由で、バスが動きはじめたことが分かっている大清水から帰りたいという希望を伝える。至仏への道で森林限界までは大丈夫だろうが、その上がどうなっているかと小屋の人は心配していた。久しぶりの軽装での登山で気も軽い。重さはそれほど苦にならないが、重荷を担いだままの転倒が怖い。それに荷物が軽いと、花の写真を撮るのが大変楽だ。前日に歩いた見本園周回路の分岐で久しぶりの日射があり、嬉しくなって自分の影を入れてキンコウカの写真を撮る。




至仏山への入口で久しぶりの日差し


オゼミズギク、ホソバギボウシ、オオバギボウシなどを見ながら、林内に入っていく。林内は木道や階段が敷き詰められているが、その上は拳大や頭大の石や木の枝などで埋め尽くされており、ものすごい豪雨だったことが分かる。木道が滑りやすいので気をつかう。とくにこれまでなかったような長い滑り台のような木道は怖かった。滑り止めの横木が渡してあるのだが、一旦滑りはじめると止めるすべがなさそうだ。このコースを登り専用にしているのはこのようなこともあるのかもしれない。やや樹高が低くなってくると、トリアシショウマ、ニッコウキスゲ、ミネウスユキソウ、ミヤマセンキュウが道端を彩り始める。やがて森林限界の標識が出てくる。小泉武英氏によると、「森林限界の低い所は1640mで、その上はネズコやコメツガの低木林。ハイマツが1800mまで下りてきている。気温から推定すると森林限界は2400mとなるので、山頂まで亜高山針葉樹林のはずだが、蛇紋岩の岩塊斜面が発達しているために、このような異常な状況となっている」という。蛇紋岩は超塩基性のスメクタイト。多くの石の表面が茶色をしていたのは、鉄分を含むためだろう。断面が青や白の色のものも目立つ。どれが蛇紋なのかと注意していたが、分からなかった。あとで聞くと、磨いた際にそのような模様がでるらしい。




登山道にも大きな石が堆積




蛇紋岩

ガスがかかっていて不完全だが尾瀬ヶ原が望めるようになる。燧の上半分は見えないが、その雄姿を想像することはできる。ネズコやコメツガの緑も若々しい。ナツトウダイグサ、イワシモツケ、コメツツジ、シブツアサツキ、チングルマの実、ヨツバシオガマ、イブキジャコウソウ、ムラサキタカネアオヤギソウ、タカネナデシコ、オヤマソバ?、タカネシオガマ、カヤツリグサ科、タカネトウイチソウ、ホソバツメクサ、ミヤマウイキョウ、ヒメシャジン、ミヤマアキノキリンソウ、イワイチョウ、エゾウサギギクなど、原にはなかった花に目を奪われているうちに、傾斜がゆるみ頂上に達する。偉い人の墓石のような重そうな石が蛇紋岩に囲まれて立っていた。ガスが動いてやっとすぐ隣の同じ程度の高さの小ピークが見えるといった程度の視界。山岳展望が趣味ではあるが、見えなくとも別に悔しいという気持ちにならない。山の楽しみは多様で、ガスの動きを見るだけでも嬉しい。持参した食料がなんとなく少ないのに気付く。それなのにすでにやや空腹感がある。ここでしっかりと腹ごしらえをしておく。



尾瀬ヶ原もなんとか見えるようになってきた




至仏山山頂


先に進むと、イブキジャコウソウ、ミヤマウイキョウ、タカネナデシコ、イワイチョウ、ホソバツメクサなどの登りで見た花のほかに、ウメバチソウが一輪だけ、それにミヤマダイモンジソウ。ハクサンシャクナゲとハイマツが共存(競合?)しているのが面白い。シャクナゲは落ちたばかりらしく、まだ生気のある花もいくつかあった。小至仏山の近辺からは少しだけ視界が広がり、至仏の山頂もかすかに見ることができた。これが今回の山行で見た唯一の至仏山。

そこを過ぎると植生が突然変化し驚かされる。コバイケイソウ、ハクサンチドリ、少しだけだがチングルマの花も、ミネウスユキソウ、オタカラコウ、ニガナ、タテヤマリンドウ、ウラジロヨウラク、イワイチョウ、ミヤマキンバイ、お目当てのオゼソウ、アカモノ、シナノキンバイ、ハリブキ(葉)などの夏山の高山植物の定番といった感じのものが並ぶ。10分ほどで元の植物群に戻る。とても不思議だったが、あとでその辺りだけ雪解けが遅いと聞き、納得できた。これほど違うのだ。オヤマ沢田代入口付近ではケナツノタムラソウ、ゴゼンタチバナ、ナナカマド、ネバリノギラン、ミズゴケの一種、カヤツリグサ科などの見慣れた花となる。

悪沢岳・笠ヶ岳への道と鳩待峠への道の分岐点に着く。そこで、悪沢岳の方へ足を延ばしてみる。針葉樹林帯になり、道は黒々とした土になっている。まったく違った地質になったことを示しており、花も少なくなり、イワイチョウ、ギンリョウソウ程度が目に着くだけとなった。雨が降り始め、本格的になりそうな気配ので、すぐに雨具をつける。山頂に灌木があり、赤い花か実かわからないようなものをつけていた。ミヤマシグレというらしい。引き返そうとしたら、少し先に花をつけたシャクナゲの木が何本かあるのに気がついたので、前進してみる。シャクナゲに間違いなかったが、登山道からはかなり離れていたため雨を避けながら望遠で撮った写真はぼやけていた。




悪沢岳への道に入るとガラリと様相が変化


分岐点に戻り、鳩待峠への道を選ぶ。オヤマ沢田代にきて突然キンコウカ、コバギボウシ、ニッコウキスゲ、クルマユリなどがごく短期間出現するが、雨もきつくカメラを取り出す余裕もなく通り過ぎた。だんだん雨脚が強くなり、深く掘れた登山道は川のようになっている。とくに峠から1kmという標識にでるまでの区間ではかなり深くなっており、今回の大雨でさらにえぐれていたような様子だった。




川と化した登山道


鳩待峠につき、様子を聞くため鳩待山荘に立ち寄る。山荘の前で雨具の水を払っている人がいた。同じコースを後ろから歩いてきたが、こちらが悪沢岳に立ち寄っている間に先行したらしい。この日は、誰にも出会わないだけでなく、誰一人登っていないと思っていたが、実際には2人だったようだ。山荘の人からは、警察が尾瀬地域に残っている人のリストを作っているので名前を教えてほしいと言われた。山の鼻への道は歩けること、翌日も鳩待峠からのバスは運休であることなどを確かめてから下り始める(結局8月3日に本格的に開通した)。前日に応急修復されたとはいえ、大変な被害状況だ。川に架かった木道が流されているところ、階段の下がすっかりえぐり取られて、応急処置の支え棒で辛うじて階段を維持しているところ、そして前日に皆さんが懸命に修復していた木道の地点などが大きな被害だった。このような所に情報もないまま足を踏み入れたりすると、二進も三進もいかなくなるので、やはり慎重な行動が必要。この区間の花は少なく、赤い実をつけたハリブキ、コオニユリ、オタカラコウ、カラマツソウ、実をつけたエンレイソウなどが目についた程度。

 

あちこちに残された豪雨の爪痕



山の鼻に戻ると従業員たちが「よく無事に」といった言葉で迎えてくれた。すぐに、責任者らしい人もやってきて、登山道の様子を聞いてきた。状況をしっかりと把握し、登山者に提供するのも仕事の一環なのだ。まだ早い時間だったが、この先に進まなくても余裕をもって大阪まで帰れそうなので、もう一泊することにする。何しろ屋根つきのテント場などはこの先どこにもないだろうから。またビジターセンターの人に色々と教えてもらおうと考えたが、誰も滞在者がいないため、閉鎖されていた。至仏山荘で風呂に入れてもらおうと考えていたが、風呂も客がいないので沸かしていないと言われる。濡れたものを乾燥室で乾かせてもらえたので、大変助かった。この小屋の従業員たちは本当に気持ちがよい人ばかりだった。




2011. 08. 01 山の鼻から白砂峠、尾瀬沼を経て大清水へ

コースタイム

602 山の鼻、628 ヨッピ吊橋分岐、659 竜宮小屋、727 見晴、820-35 休憩、854 白砂峠、900-907 白砂田代、920-40 沼尻休憩所、1030-1150 尾瀬沼ビジターセンター、1153-1207 長蔵小屋で昼食、1222 尾瀬沼小屋、1238 三平峠、1325 一ノ瀬、1417 大清水

良くも悪くもない天気の尾瀬ヶ原へと足を進める。結局この日も、燧、至仏とも上半分は姿を現さなかった。上ノ大堀川までは1往復半しているので少しスタスタと歩く。前後左右誰一人として歩いていないのは異様な感じ。ヨッピ分岐を過ぎてサワギキョウが数本目についた。低木のカラコギカエデやユモトマユミが可愛らしい実をつけている。オゼミズギク、ワタスゲ、タカネアオヤギソウ。朝が早いのでヒツジグサは咲いていない。竜宮小屋を過ぎると沼尻川を渡るが、ここも広範囲に草が寝そべっている。




雲に覆われた燧ヶ岳に向かって無人の原を歩く




水も減り平穏を取り戻した原




沼尻川付近の惨状


ここから福島県となり、周りの風景もかなり変化する。湿原というより草原という雰囲気になる。カヤツリグサ科やイネ科が目立つようになる。景鶴山と燧ヶ岳の間が大きく沈み込んでおり、空のしたに草原の地平線が広がっているので、風景がますます大きい。見晴に近づくと花が増え始める。オトギリソウ、ナガバノモウセンゴケ、ゴウソ、オゼヌマアザミ、タカネアオヤギソウなど。



見晴が近づいてくる




景鶴山と燧ヶ岳の間の開けた空間


見晴を過ぎて、少し行くと野営地の案内が出ていた。燧ヶ岳への分岐点を過ぎ、段小屋坂という白砂峠への林内の道を登っていく。これが記憶にあるよりかなり長かった。途中で休憩を入れる。ついでに簡単に中食。初めての植物としてアブラガヤ、オオレイジンソウ(?)。オタカラコウも多くなり始める。やがて到達した白砂田代には淋しそうなワタスゲがいくつか残っていた。キンコウカ、ミヤマワレモコウ、ミツガシワ(実)、マルバノモウセンゴケ、一本だけのサワラン。

沼尻休憩所に着き、一言二言話をしてから立ち去ろうとしたが、尾瀬沼の光景がなんとも言えず心に沁みるものがあったので、後戻りしてコーヒーを注文する。対岸の山には雲がかぶさっており、光も差していない暗い風景が、なぜこのように訴えるものを持っているのだろうか。




沼尻から尾瀬沼


南岸の道は通行止めになっており、長蔵小屋を経由する北岸をめぐりながら沼の風景を楽しむ。ミタケスゲなどが目を引いた。湿原から大きな白と黒の模様の鳥のつがいが飛び立った。あとで聞くとアオサギとのこと。ヨツバヒヨドリ、オタカラコウ、クルマユリが群れている。ニッコウキスゲも初々しさがあり、原に比べて標高が高い分、季節感も違っている。オニシモツケ、ミズチドリ、コオニユリ、ノアザミを見ているうちにビジターセンターとなる。ここで、レインジャー嬢に長時間付き合ってもらい、分からなかった花の名前をかなり解明してもらった。



チラホラと人影を見るようになったが、それでも静かな長蔵小屋


長蔵小屋の玄関に腰をかけて、注文したキノコうどんを食べる。今回はすっかり食料を消費しつくした感じで、予備食などはないも同然だった。そのあと、尾瀬沼小屋、三平峠、一ノ瀬を経て大清水まで歩く。昔の尾瀬のメインルートだが、初めて歩くコース。長靖氏が遭難した道で、彼らの努力に感謝しなければならないと改めて思った。ここらあたりから登ってくる人と頻繁にすれちがうようになった。ほぼ常態に戻りつつあるようだ。モミジカラマツ、ニガナと林道などのそばに咲くのは多くは白い花だった。大清水ではバスの発車まで47分あり、ゆっくりできると思っていたが、靴や靴下を洗い、シャツを着替え、缶ビールを飲んでいるとあっという間だった。沼田まで直通だったので、バスの中でも色々と仕事がはかどった。沼田駅にやや遅れて着いたので時間が短くなったが、なんとか食堂で夕食をとることができた。



大清水のバス停



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