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2011. 2. 5
  入笠山・釜無山


東京での仕事のあと、富士見駅前に泊まる。翌朝、スキー場まで送ってくれるとのことだったので、パノラマリゾートスキー場のゴンドラを使うことにした。しかし、そのおかげで、釜無山まで足を延ばすことが可能になった。


同行: 単独

  

コースタイ

813 ゴンドラ上駅、824 山彦荘、834-37 マナスル山荘、900-21 入笠山(1955)、933-36 首切登山口(仏平峠?)、940 首切清水、953-56 大阿原湿原、1023-26 程久保山北、1040 程久保山南、1052 釜無山登山口、1120-42 昼食とワカン着用、1226-46 釜無山(2117)、1326 P2003、1334 巻き道へ、1352 程久保山南、1405-07 程久保山(1977)、1418 程久保山北、1441-1503 大阿原湿原、1522 首切登山口、1548-58 大阿原分岐、1618 ゴンドラ上駅

宿のそばを朝食前に少しだけ散歩する。-6℃程度の冷え込みだが、快晴に近い。鋸岳が立派に聳え、その左に甲斐駒ヶ岳が頭の先だけを覗かせている。右側には今日の目的地である釜無山から入笠山にかけての稜線が延びている。八ヶ岳は阿弥陀岳、赤岳、西岳、権現岳、編笠山の頭だけ見えていた。釜無山方向の同定は簡単ではなく、送ってくれた宿の主人も、「釜無とか程久保はここから見えないのではないか」と言っておられた。帰宅後に丁寧に検討し、やはり見えていた。同程度の高さのコブが連なっているので分かりにくい。

ゴンドラの下駅からすでに八ヶ岳のすばらしい展望が広がる。阿弥陀岳、赤岳、西岳、権現岳、編笠山ときれいに勢揃いしている。ゴンドラの始発に乗る。ゴンドラの中からも刻々と変わる姿を見ながら、オーバーズボンやスパッツを着ける。ゴンドラの上駅になると、八ヶ岳の姿がかなり違ってくる。西岳と編笠山が稜線の下に沈み、三ツ頭が台頭してくる。南側には、わずかだが甲斐駒ヶ岳が見える。ゴンドラ上駅を出た所は広々としたスタート地点になっており、快晴の八ヶ岳を正面にして、誰もいない斜面に向かって、両手を高く上げて気持ちよさそうに滑り始めるスキーヤーがいかにも楽しそうだった。こちらは反対側に向かって歩き始める。




スキー場上部から八ヶ岳



入笠湿原を経由するコースに進む。湿原の先には山彦荘が見える。マナスル山荘を通り過ぎて少しだけ西側に進むと、中アが初めて見える。頂上からもっとよく見えることが分かっているので、すぐに引き返し、頂上に向かう。半時間もせずに頂上に達する。

なんと広々とした頂上であることよ。100人が同時に弁当を食べることもできるほどだ。そして、文字通り360°の展望が楽しめる。南東の富士山からスタートして、時計回りに目を動かしていく。手前の雨乞岳のあと、鳳凰岳、高嶺、甲斐駒、鋸岳(その手前に釜無山)、間ノ岳、仙丈ヶ岳、P1960の鉄塔と続く。南アがこれだけしか見えないというのも、一興だ。間ノ岳の右奥に、かすかに三峰岳が見えることを文献で知ったが、確かに写真に写っていた。しばらく大物が途絶え、中アの左に霞んだ恵那山、中央アルプスがずらり、御嶽、経ヶ岳、黒沢山、目を凝らすとかすかに乗鞍、その後の北アルプスは全然駄目。美ヶ原、車山のあと、心眼で根子岳、四阿山を見つける。すぐ蓼科から八ヶ岳。ここで、右端が編笠ではなく三ツ頭というのは、多くの人が勘違いしそう。奥秩父も分かりにくい。目立つ二つのピークは小川山と金峰山。その他はほとんど分からない。大菩薩嶺から小金沢連嶺への連なりが逆光の中に浮かんでおり、その手前に金ヶ岳、茅ヶ岳が仲良く並んでいる。そのあとは、かなり雲の中になり、しばらくして三ツ峠、御坂黒岳が判別できる。黒岳の手前は大阿原湿原の東のP1389。雨乞岳の稜線の末端を経て、富士に戻る。北アルプスが見えないのは残念だが、仕方がない。これだけ遮るものなく見えるのも、贅沢な話だが、ある意味では少し面白味に欠ける。4日前の思親山から、樹間越しに南アを同定したようなワクワク感がない。方向指示盤が設置してあったが、間違いが大変多かった。






入笠山山頂(左から中央アルプス、御嶽山、経ヶ岳、黒沢山





左から富士山(手前に雨乞岳)、鳳凰山、高嶺、甲斐駒ヶ岳、鋸岳(その手前に釜無山)、間ノ岳



人っ子一人いない頂上に別れを告げ、釜無山を目指す。首切清水を通り過ぎる。高遠藩の金奉行が江戸の藩邸に金と届けるため、近道してここを通り、清水で水を飲むためかがんだところを、あとをつけてきた盗賊に首を切られた場所という。金を運ぶのに不用心なことだ。テント禁止という立て札があったように、適度の平地があり、きれいな水があるので、誰でも使いたくなるような場所だ。大阿原湿原には松本ナンバーの4輪駆動が2台駐車していたが、一日中それらしき人影はみなかった。

程久保山は西側を巻き、釜無山登山口に達する。そこから少し山道を歩くと、八ヶ岳の好展望地がある。P2003も西側の巻き道を歩く。2003のちょうど西あたりで、道が急角度に東へ向かうようになるが、そこからは、右手に釜無山の山稜が間近に眺められる。釜無山へのトラバース道は分からなかったので、分かりやすい稜線コースを辿る。ここ数日は誰も歩いておらず、ほぼ新雪を踏むような感じではあったが、道が分からないということではない。登りかけたところで、中食を取りながら、ワカンをつける。装着しても、場所によっては膝下まで潜ることもあった。尾根だから雪が少ないということもない。中央アルプスと御嶽が見えるところがあったが、かなり霞んできた。知らない間に人の足跡を見るようになったが、この人は頂上直前で引き返していた。確かに頂上付近は似たような高さのピークがいくつもあり、分かりづらい。予め、ネット情報で、頂上には標識があると読んでいたので、たどり着けたようなものだが、知らなければ、通り過ぎたかと思っても不思議ではない。


山頂からの展望はよくない。辛うじて、車山、蓼科が見えるだけだ。それもやはり霞んできた。心眼をこらしても、もう四阿山は見えない。GWに鋸岳まで縦走した人の記録を読んでいたので、少し南西の方へ進んでみた。もちろんますます人の気配はないが、境界見出標などがあり、稜線を忠実に辿れば、なんとか白岩岳、横岳へは行けそうな感触を得た。





展望のない静かな釜無山頂



最終のゴンドラまでは十分の時間がありそうなので、P2003、程久保山、できれば大沢山にも立ち寄って帰ろうと下山を始める。10分ほどすると、この日出会った唯一の若者が登ってきた。沢入登山口からという。足にも手にも、なにも道具をもっていない。帰りは、P2003と程久保山に立ち寄る。2つのピークには、山頂標識はないが、地形図通りの所が最高点だった。展望はない。いずれにも人の足跡はなく、あるのは鹿の足跡ばかりだ。

大阿原湿原の車は消えていた。中に入っても、植物が見られるわけでもないので、通り過ぎることにする。地図に目をやると、湿原の東側を歩いていくと自然に林道に出るようになっていたので、考え直し、湿原の木道へ足を進める。10分ほど歩くと、道も分からないくらいに雪が増えてきた。とても目的の林道までは行けそうにないので、適当に東の方へ分け入ってみた。大変な潜りようで、すぐそこにあるはずの林道まで行く気がせず、もう一度木道に戻る。湿原よりかなり高い所を通っている林道を歩きながら、どこで湿原の遊歩道と接するのかと注意していたが、そのような場所はなかった。





雪に埋もれた大阿原湿原



空気の透明度がよくなっているのなら、もう一度入笠山に登ってもよかったのだが、とてもそのような状態ではないので、首切登山口からは右手の林道を歩く。八ヶ岳が見渡せる所があったが、もうはじめほどの感激はない。分岐点の手前で、小さなテントが一つ張ってあった。テントも考えたのだが、もう1日かけて歩くところもなさそうなのでやめた。やはり気持ちよさそうだ。分岐点のところが昔のスキー場らしい。一人滑っている人がいたが、それがテントの主かもしれない。大沢山に登るのならワカンがあった方がよいかとそのままで来たが、湿原でのロスなどもあり、とても登る時間はない。分岐点に来たところで、ワカンを外して雪を落とそうとしたときに、ワカンの爪で指を怪我した。山彦荘からは、遠回りになるが、林道を通り、ゴンドラに向かう。終了の10分ほど前のゴンドラに乗る。多分最後の客だろう。

下りてから、シャトルバスまでに20分程あったので、100円の足湯に浸かる。またまたカラスの行水だが、実に気持ちがよかった。荷物を引き取るために宿に立ち寄ると、出るときに、送迎などのお礼として余分に渡したのが嬉しかったと言われ、果物、お菓子、缶コーヒーなどを入れた袋を貰ってしまう。塩尻での乗り継ぎが例によって悪く、名古屋では3分で新幹線に乗り継いだが、帰宅は23時過ぎ。





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