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10. 12. 25  子持山 


桐生での会合の翌日の山行に、また谷川岳と思ったが、降雪確率80%なので、出かける前に諦め、子持山の用意をする。新前橋で荷物をロッカーに入れ、歩道橋からまわりを見回すと、荒船、妙義、榛名、赤城と上州の名山がぐるりと取り巻いている、上越線に乗ってからも、目指す子持山と小野子山が目を楽しませてくれた。


同行: 単独

コースタイ

906 子持山登山口BS、958 小峠、1044 林道、1020-44 子持山(1296)、1220 柳木ヶ峰(1190)、1239-1311 獅子岩へ寄り道、1352-57 屏風岩・登山口・奥の院・7号橋、1421-29 子持神社、1448-53 空恵寺(くうえじ)、1540 敷島駅

上越線の水上=長岡間は雪のため不通というが、沼田あたりは日も照っており、至って平穏。バスを降りたころからワカンをつけてラッセルかと意気込んでいたが、全く雪もない。小峠まで行くとやや雪が出てきた。急な丸太階段をかなり登る。足下の雪はややクラストしており、足を踏み出すたびにザクザクと気持ちよい音をたてる。傾斜がゆるんだところに休憩所があった。北の方角がやや見通せるが、雪雲に覆われた山はどこが見えているのか見当がつかない。さらに進むと雪が増えてくる。木の枝にもビッシリとついており、白と黒のモノトーンの景色が美しい。頂上の西にある肩まで登ると、あとはすぐに頂上だ。学校のサークルらしい若者3人と年長者2人のグループが昼食をして、くつろいでいるところだった。まずはまわりを見回す。北の武尊山の方は雲の中、赤城もほとんどは雲の中。榛名は一応各ピークが分かる。その右手前、低いところに小野子山と十二ヶ岳がある。そのあとザックを下ろして、昼食とする。

彼らは7号橋よりのピストンで、帰りは同じ方向に下りるらしい。少し先に出発する。出発の頃には、赤城がかなりしっかりと見えるようになっていた。下り始めると、かなりの悪場がしばらく続く。傾斜がゆるみ、柳木ヶ峰(やなぎがみね)を通り過ぎる。特徴的なシルエットの獅子岩がだんだん大きくなってくる。榛名の手前に浅間山(子持山の一部の浅間山)が見える。振り返ると子持山が大きい。




浅間山(左手前)と榛名連山




獅子岩




獅子岩の上の石碑




獅子岩から子持山(左奥)



大黒岩(獅子岩)は登れるのかと思うような岩峰。しかし、獅子岩へというしっかりとした標識があったので、問題ないのだろうと、ザックを置いて登っていく。大した苦労もなく、獅子岩という道標のある所に着く。まだそこから上に大岩が聳えているが、登れるような感じではなく、ここが終わりなのかと、念のため左の方向へ回り込んでみる。すぐに断崖絶壁に道が吸い込まれている。浅間山の方を見下ろすととても奇妙な岩の壁が並んでいる。道標の所に戻ってくると、鉄製の太い梯子がぶら下がっているのが目についた。それが頂上への道。梯子が終わり、さらに太い鎖に頼りながらトラバースしたあと、さらに登る。最後の一歩は、ホールドもスタンスもなく、フリクションをきかせてよじ登るような感じで、この一歩だけは少し緊張を強いられた(とくに下りで)。頂上には、御嶽山神社と書かれた大きな石碑が建てられている。ヘリコプターででも持ち上げたのだろうか。

もとの所にもどり、穏やかな道を下っていく。コルになったところに先ほどの5人組が休んでいた。屏風岩のことを聞き、やはり少し遠回りになるようだが、そちらに下る。聞いた通り実に大きな岩だった。その下に役行者の祠があり、すぐ登山口、奥の院、7号橋となる。あとは林道をどんどん下り、子持神社に寄っていく。田舎にしては風格のある建造物が並んでいる。万葉時代から知られていたという。そのすぐ下で左に入る道に進むと、空恵寺へという道標が出てくる。地図からは想像していなかった上り下りが続く。臨済宗の空恵寺も9世紀の開基で、歴史的な価値があるようだが、値打ちがあまり分からなかった。それから下る道の脇に、石で作った10体以上の違った種類の仏像が並んでおり、微笑ましい気分になった。やがて、立派な道路に降り立ち、JRの駅に向かう道を、オリエンテーリングしながら、駅に向かう。駅前には小さなスーパーがあったが、ビールはなかった。



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