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2010. 12. 11-13
 竜喰山、唐松尾山、笠取山

奥多摩駅からの最終バスに乗り、丹波山村の民宿で一泊。翌日登山開始。予定では、将監、雁坂、十文字の冬季小屋に3泊して、十文字峠から信濃川上に出るという欲張ったもの。雪山にテントを担いで登るにしては、やや無理な計画だった。予定の半分で下山することになった。

同行: 単独



2010.12.11 丹波山村から大ダルまで

コースタイム

600 丹波山村、737 尾根に出る、925 尾根の頭、935-54 サヲラ峠、1043 熊倉山(1625)、1220 前飛龍(1954)、1313 飛龍権現、1318-43 ハゲ岩、1405-47 水場、1500-45 テント場、1600-03 小ピーク、1610 テント場

宿のおばあさんに聞いておいたバスの終点近くにある「サヲラ峠登山口」の標識の所から入る。土石流防止の工事現場に来ると、左手に梯子があって登るようになっている。てっきりそこが登山道かと思い、登って林の中を歩き始める。しかし、そのうち道があるようなないような所になり、そんな所をずっと歩く羽目になった。途中で尾根に飛び出し、やっと歩いている場所が分かったが、それでも登山道ではなかった。踏み跡がないので、直登することになり、大した勾配ではないのに、アキレス腱が伸びきるような感じ。探すのも大変なのでそのまま登り、縦走路に到達する。そこには雪の上にトレースがあり、西に10分で峠に着き、ザックを始めて下ろす。




サヲウラ峠


ちょうど三条の湯から登ってきた2人連れが、丹波天平の方へ下りていくところだった。気合いを入れて、前に歩いたことのある前飛龍への尾根を登り始める。軽装の男女がえらい早さで追いついてきて、抜いていった。熊倉山は素通り。岩岳への分岐や前飛龍のピークもしっかり確認しないまま、シャクナゲが生い茂った道を下り始める。ここで始めて展望らしきものがあり、白岩山、芋ノ木ドッケ、雲取山、小雲取山がスッキリとした姿を見せてくれた。雲取を見たのはここからだけで、あとは全く見ることができなかった。




前飛龍の下りで芋ノ木ドッケ、雲取山を



このあとも2グループに抜かれたり、追いついたりした。さすがに快晴の土曜日とあって、人は歩いている。この時点で、飛龍山の往復はやめることにしていたので、飛龍権現では休まず、ハゲ岩まで足を伸ばす。権現からはトレースがなくなったが、心配になるような道ではない。積雪はたいしたことなく、10-20cm程度。
やはりハゲ岩まで来てよかった。すばらしい展望が広がっていた。前に来たときはガスだけだったので、一層嬉しい。展望を楽しむ前にこの日の予定を考える。サヲラ峠までは道のないところを歩いたこともあり、コースタイムの1.6倍、峠から飛龍権現までは、登山道を歩いたのに1.3倍。両方ともザックを下ろさず3時間以上歩いているので、バテていたわけではない。将監までトレースのない道をこのペースで行くと、トラブルが全くないとしても到着は暗くなってからになる。この時点で将監まで行くことを断念し、大ダル近くでテントを張ることに決める。その分、展望をゆっくと楽しむ。




ハゲ岩からの展望(左から石保戸山、乾徳山、黒金山、国師ヶ岳、古礼山、木賊山、水晶岳、三宝山、雁坂嶺、唐松尾山、竜喰山、大常木山、西仙波、東仙波、和名倉山)



甲武信岳が実につつましやか。笠取山は古礼山の下に潜って目立たない。北奥千丈岳と木賊山の中間に遠く見えているのは小川山かもしれない。竜喰山の右の和名倉山周辺はややしっくりしないところがある。ハゲ岩から20分できれいな水場に着く。沢の流れではなく、湧き水のような感じ。将監まで行かないことにしているので、ここでまたゆっくり休む。米を研ぎ、コーヒーを淹れ、必要分の水汲みをしておく。やがてコルのような所にさしかかり、なんとか笹の中に平らな場所も見つけられそうなので、テント場とする。といってもなかなか広い場所はなく、シカのねぐらを借りることにする。

15:45には設営が終了したので、明日のコースの下見に行く。どうせ翌日も将監以遠には行けそうにないので、予定通りでないのなら、巻き道を行かずに稜線を歩きたい。すぐに小さなコブがあったが、まずは巻き道の様子を見ようと巻いていく。すぐに本当の大ダルと思われるコルにでた。こちらの方が広々しているが、今更、引っ越してくるほどのことではない。そして、ここから巻き道と稜線の道が分かれていた。といっても稜線には道はなく、獣道が縦横に走っているだけだが、そのうちの一つを適当に選びながらピークまで登ってみる。暮れなずむ富士山や大菩薩嶺や、登ってきた方角にはわりとスッキリした山容の飛龍山を見ることができた。そして、北西方向には目指すべき稜線が見えたので、視界さえよければ問題なさそうと判断してテント場に戻る。今回は、無人小屋の中で寒さを凌ぐつもりだったので、ビバーク用のアルミシートを試そうかと最初考えた。しかし、念のためテントに変更したのがよかった。そうでなければ、無理してでも将監まで歩くはめになっていた。

夕食は、今回初めて使う山岳グルメと称するポテトカレーを主体にしたが、レトルトカレーの方がずっと美味しい。翌日も、えびピラフなる山用のパックを使ってみたが、これもいただけない。寝る前の気温は−3℃程度で、厳しくはない。夜になってシュラフに入ってウトウトすると、近くでシカの鳴き声が聞こえた。寝床を取られて抗議している声のように聞こえた。大声で「ごめんね」と言っておいたが聞こえたかどうか。夜中に起きたときの星空は、裸眼でもまばゆいほどの煌めきだった。



2010.12.12 大常木山、竜喰山を経て将監小屋まで

コースタイム

653 テント場、902-19 大常木山の西のピークか(1960+)、1016-30 竜喰山(2012)、1044-50 展望台、1134 将監峠、1139-1300 将監小屋、1333 山の神土、1348 水場、1412 引き返す、1421-33 1940+のピーク縦断、1508 牛王院平の三差路、1527 テント場

朝は、−7℃まで下がっていた。起きてから出発までに2時間以上かかった。もっと早くできるのだろうが、グズグズとするこの時間も捨てがたい。予定通り、大常木山、竜喰山という稜線コースを歩く。ここは夏でもあまり歩いている人はいない所だが、天気もよかったので、問題なく獣道を辿って歩ける。前日に登ったピークを越えておくと、モルゲンロートの富士山や南アが次々と姿をあらわす。少し遠い嫌いはあるが、やはりなんとも荘厳な姿だ。南アは笊ヶ岳から甲斐駒ヶ岳までが勢揃いだ。御正体山、天子山塊、乾徳山、黒金山なども認められる。




大ダルから少し登った所で朝の富士山
(左に小金沢連嶺、すぐ右に大菩薩嶺、右奥に天子山塊)






南アルプス(笊ヶ岳から甲斐駒ヶ岳まで)



軽量化のためGPSを持っていかなかったので、大常木山のピークは踏みそこなったようだ。そういうことになるのが癪なので、丁寧にピークを一つ一つ踏んだつもりだが、一ヶ所だけ岩峰を巻いた所があった。どうもそこだったらしい。大体はどのピークにもシカの足跡があるが、ここだけはどのシカも巻いていたようなので、つい調子を合わせてしまった。似たような高さの峰が続くので分かりにくい。それにしてもシカは何故ピークに登るのだろうか。ピークから天敵を探す、ピークで自分の位置を確かめる、ピークに登るのが楽しい、などといくつか考えてみたが分からない。

大常木山のすぐ隣のピークからは、木の間越しになるが、新たに赤岳、横岳らしい白いピークが見えた。稜線の多くは、甲州側がカヤトで、武州側が針葉樹の深い森になっている。従って多くの獣道は甲州側に幾筋もにわたってつけられている。少し歩いている位置の把握が間違っていたようで、思っていたより早く竜喰山に着いた。この山名は竜喰谷に由来するが、この谷は武田家の金の産出地として、戦国時代から知られていた。山名も江戸時代から知られていたというので、歴史的には重要な山だ。近頃は大半の人が巻き道を通るのだが、木暮理太郎、田部重治の頃はもちろん、尾根道を通っており、その頃に近い姿の稜線を歩いている可能性がある。竜喰山を越えると急に標識やテープ類が出てきた。ここまでは、将監峠から沢山の人が登ってくるらしい。この頂上は展望はきかないが、少し西に行くとなかなかの展望地が待っている。今まで見えていたのに加え、笠取から唐松尾にいたる稜線も見える。

将監峠も下に見えてきたのに安心したのか、峠への下り道で、方向を間違えた。1974m峰が前に見えたので、コンパスを取り出すと、果たして北東の尾根を下り始めていることが分かった。少し登り返してトラバースして峠へのルートに乗ることができた。小屋に行き、またまったりとした時間を過ごす。大量に出ている水がありがたい。しっかりした昼食をしながら、日も当たっていることもあり、小屋泊まり(4500円)でなく、テント(500円)を張ることに決める。




大菩薩が望めるテント場



早い時間なので、和名倉山の方へ散歩に行く。将監峠、牛王院平(ごおういん)を過ぎると遭難碑がある。1974.5.1にワンゲルの学生18才がなくなったそうだ。将監小屋まで雪がなければ30分の所で、よほど条件が悪かったのだろう。入学してすぐの、訓練も十分受けていない状況での遭難なので、事情は知らないが、指導者にもつらいものがあったに違いない。山の神土(がんど)の周辺の木の幹はシカに食べられたらしく、悲惨な姿をしている。ここから唐松尾山に行く道と和名倉山に行く道が分かれている。後者は主稜線から外れているのにトレースがあった。理由は分からないが、かなり人気のある山らしい。

チョロチョロと流れている水場を越えて、数分すると、道は左に大きく曲がり、右手にきれいな三角錐のピークが見えた。やはり甲州側は笹の斜面で、武州側は森林だ。地図持っていなかったので、その時はよく分からなかったが、これは 1940+のピークだったらしい。これを左側から巻くと、前方に顕著なピークが見えた。これが東仙波なら20分あれば登れるかと意気込んだが、これも左から巻いていく。およその引き返す時間の目安にしていた14:30に近づいたので引き返す。少々のことでは東仙波には届きそうにない。帰りは、少し藪こぎして 1940+のピークに立ち寄る。とくになにもない。登山道を目指して西側の斜面を下りる。牛王院の三差路で左折せず、直進して頂上に立ち寄ってみる。こんもりした頂上には標識が土の上に置かれており、1860mという標高も記されていた。雪の斜面を適当に下って、登山道に合流し、峠からテント場に戻る。天気予報通り、だんだん下り坂になっている。出発の時に見えた大菩薩嶺や雁ヶ腹摺り山も姿を隠してしまった。新しいテントもなく、小屋にも誰もいない。




和名倉方面への散歩の途中で





竜喰山の全容がはっきりと見えた




2010.12.13 将監小屋から唐松尾山、雁峠を経て広瀬まで

コースタイム

625 テント場、700 山の神土、811-30 唐松尾山(2109)、1034 三差路、1046 水干の頭(1940+)、1114 笠取山西、1142 雁峠小屋、1154-1214 アイゼン脱着、1342-48 右岸の小屋、1436-46 新地平、1505-1626 道の駅みとみ

2日間の好天が終わり、3日目の朝はドンヨリとした空模様だ。時間を取りすぎると、広瀬に下山してもバスに間に合わないかもしれないので、早出しようと考えていたが、また6時半になってしまった。前日に歩いた道を辿り、山の神土から稜線コースへ入っていく。唐松尾までの道は、ガスに囲まれ、霧氷が出てきたくらいで、とくに印象に残る景色はない。だんだん雪が増え、歩くのに多少の難儀を伴うようになってきた。2-3人のトレースがあるが、この人達は新雪の時に歩いているので、それほど苦労はしていないはず。この日は、部分的に凍っているところがあったので、頂上に着いたら軽アイゼンを着けようと考えながら登る。笠松山方面という標識が出るとすぐに頂上だった。




唐松尾山の頂上



アイゼンを着け、中食をとっていると、雪が舞ってきた。歩き始める前でよかった。すぐに雨具の上下を着てしまう。この日は、使い捨てカイロの性能が悪いような気がして、カメラの寒気対策を怠っていたため、唐松尾頂上の写真以降は全く撮れなかった。大して撮りたいものもなかったのでよかったが。

唐松尾山からの下りでは、岩に雪と氷がついた所が少しあり、軽アイゼンが大変役に立った。持ってなければ、場所によっては倍の時間がかかったに違いない。時間よりも、気分的に楽なのがよかった。急坂が終わるとあとは大した上り下りもなく、気楽な道を笠取山に向かう。長い平坦地が終わると頂上に向かう三差路になる。地形図通りに少し引き返すような方角に折れ曲がり、登っていく。途中で、どうも理解のできない標識が出てきて戸惑う。来た方向は「唐松尾、笠取小屋」、行く手方向は「@@頂上へ」とあるのだが、@@が読めず、2字目の右肩1/5ほどが残っているが、「取」とはどうしても読めなかったので、気になりつつも前進する。少し急勾配を登ると頂上に出た。

「笠取山」の標識はなく、手書きの「水干の頭」という札が懸かっていた。水干の頭=笠取山ではないだろうとは思ったが、まわりは見えないし、先ほどの標識が気になったので、笠取山への道を過ごしたのかと、確かめるために引き返す。これが失敗で、すぐに先ほどの三差路に出る。やはり水干の頭からさらに数分西に行かねばならなかったのだ。今回は、随分色々と下調べをしたつもりだったのに、山頂付近の詳細などは気にしなかったための失敗。三差路から笠取小屋の方への道には多摩川の水源である水干を通るので、それもよいかと自分を納得させる。水干を過ぎると、「笠取山西」という交差点の道路標識のような名前の道標が立っていた。西に少し登ると分水嶺の碑。荒川、多摩川、富士川に分かれる。笠取小屋の方向に道標が見えたので、念のためそこまで歩き、雁峠への指示を確認して西に向かう。

ここのトレースはやや多い人数のようだった。すぐに雁峠小屋、広瀬への下山路に着く。もう1日分の食事をもっていたが、天気もよくないし、食料のうちタンパク質類が不足しているし、ティッシュペーパーもなくなりつつあるので、まあ潮時かと雁峠から広瀬ダムの方へ下山。峠のすぐ下で、アイゼンを外し、少しカロリーを補給する。広川谷に沿った道は、何度も沢を跨ぐ道で、なかなか気分がよかった。やたらとピンクのテープが張り巡らされているのが、やや風情を損なっている。谷沿いなので、大間違いする心配はないのに。

それが終わると、テントでも張れそうな広いなだらかな道になり、これが長かった。そして目印もなくなり、2度ほど少しウロウロさせられた。下りたらもう1日テントか民宿に泊まり、行ったことのない西沢渓谷を散歩しようかと考えながら歩く。

国道に降りたった新地平にはいくつかの店があるが、食事ができるところはなかった。上の方へしばらく歩いて「道の駅」の食堂で食事をする。話をしていると、3日前に西沢渓谷で夫婦が転落死して大騒ぎだったらしい。もともと12月のはじめからは遊歩道への進入禁止となっているのに、無視する人が絶えないとのこと。話を聞いておいてよかった。バスの時間も変わっており、2時間ほどの待ち時間となる。中央線もよい特急はなく、塩尻まで各駅停車、塩尻でも1時間以上の待ち時間と不具合が続き、帰宅は24時を回ってしまった。




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