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2010. 4. 6-10
  焼岳・蝶ヶ岳

久しぶりのK氏との山行。初日に松本電鉄の下新駅で待ち合わせる。ところがメモしていた時間が1時間間違っており、家を飛び出しながら、携帯電話でミスをわびる。新大阪、名古屋、松本での連絡がよかったので、予定より45分遅れただけで済んだ。この日は時間に余裕があったので、よかったようなものの、考えられないような凡ミスだ。下新駅で車に乗せて貰い、ネットで目をつけていた唐沢そば集落の蕎麦屋で粗挽き木曽そばを食べる。大変さわやかな味わいで、寄り道した甲斐があった。中ノ湯についてもほとんど雪はない。目の前に、前山にほとんど隠れたような形で霞沢岳が聳えている。少しだけ翌日のスタート地点を確認してから、温泉につかり、ゆっくりと夕食。

同行: K氏


2010. 4. 7 中ノ湯から焼岳

コースタイム

813 中ノ湯、950-1000 休憩、1110-32 中食、1153 コル、1230 焼岳南峰(2455)、1235-50 引き返し点、1326-35 コル、1354-1407 休憩、1500-20 ガス切れを待つ、1535 中ノ湯

7時から朝食。ちゃんとした宿の食事は充実しているし、なにより気楽だ。宿のすぐ後から雪道の登山道が始まる。最初からアイゼンを着ける。なんどか車道を横切ったあと、ジグザグを切りながら尾根を登っていく。1時間ほどして傾斜が緩み、もう少し歩いて休憩。K氏は大体いつも50分、10分のペースらしい。少し勝手が違うが、別に問題ではない。10:30頃さらに広い場所にでる。これがリンドウ平かなと思ったが、本当は少し離れた所にあるのかもしれない。下の方が少し見えたり、ガスに隠れたりといった状況だ。ここからマーキングが減ってしまうが、天気も多少回復する気配もあったので、かまわず尾根を登っていく。右手の下堀沢にはそれほど大規模ではないが、デブリが見られる。尾根の途中で、まだまだありそうだからと中食にする。

食後、ポールをピッケルに持ち替えて、上を目指す。20分ほどでコルのような所に出る。折角GPSを持って行っていたので、この辺でオンにしておけばよかったが、別に問題はないだろうと使わなかった。そのままどんどんと高みを目指す。稜線はさすがに風も強く、斜面もクラストして、しっかりと蹴り込まないといけなくなる。岩に氷がへばりついており、冬山の様相を呈してきた。気温も下がってきた。一瞬ガスが薄れたので、写真に撮っておく。3つほどの小山がやや下に見えた。頂上付近らしいが、2人とも夏にも来ていないので、勘が働かない。やがて、ピークを越えて下り始める。どんどん下るので前を歩いていたK氏を止めて、GPSで確かめようと提案。北峰を目指しているはずだが、緯度にしてまだ10秒以上も南にいる。高さはもともと信頼できないが、2460mを越えており、南峰よりも高い。「時間も遅いので、先ほどのピークを頂上と認定して、この辺りで引き返そう」とK氏は言う。時間はそれほど気にはならなかったが、下っていく先が全く見えないので、同意する。頂上になんとしても登りたいという気持ちがなくなっているのは年のせいだろう。





焼岳南峰付近?



引き返して、しばらくの間は足跡を辿ることができたが、そのうち見えなくなる。見えなくなった所で、2人であちこちを探すが見つからないので、そのまま下っていく。左手の低い所はとても急で下りられそうにない。しばらくすると、右手に高い所がガスの合間に見える。どう見ても見たことのない地形だ。もう一度GPSを見るとかなり西に進みすぎている。戻りながらウロウロしていると、ガスが僅かに動いて、登るときに見た3つの小山が目についた。それで進むべき方向が分かった。すぐにガスが立ちこめ、二度とこれらの小山は見ることがなかった。少し下っていくと、登ったときにコルかと思った地点ででた。もう間違いないと2人でうなずき合う。

あとで考えると、南峰に登った可能性が大きい。小山はP2330とP2318と考えるのが妥当だし、コルと言っていた地点のGPSの記録はP2318のすぐ北。25000地図の点線でなく、その南西の尾根を登ったことも間違いないので、コルの位置はそれでよさそう。引き返した地点の高度が2460mを越えていたことも納得できるし、北峰までまだ7”ほどの緯度の差があったことも納得できる。ホンのもう少し視界が効いておれば分かることなのに残念だ。

コルからの下りはもう心配ない。一度小休止をしただけで、中ノ湯が見えるところまで下りてきた。穂高方面のガスが動いているので、少しガスが晴れるのを待ってみたが、すぐには晴れそうになく、諦めて下る。宿のロビーで粘っていると、前穂や明神の真っ白なピークが時々、部分的に現れるようになってきた。その後、トンネルの入口にある洞窟状のト伝の湯なるものに宿の車で連れて行ってもらう。夏油温泉の洞窟湯の方がスケールは大きい。帰ってからも、眺め続ける。奥穂も見えたが、結局全部が同じ瞬間に晴れわたることはなかった。




2010. 4. 8 中ノ湯から徳沢

コースタイム

838 釜トンネル南入口(1315)、902 釜トンネル北入口、935-42 休憩、944 大正池ホテル、1012 帝国ホテル、1027 ウェストン碑、1042-1132 河童橋、1227-1310 明神、1417 徳沢園(1560)

この日は快晴。宿からの眺めもなかなかよい。前日にとぎれとぎれに見えていたものが、吊り尾根を真ん中に、完璧な姿で見えるようになり、ある意味で少々味気ない。徳沢に行くだけなので、ゆっくりした気分で出発する。車は宿の駐車場に置いたままで、釜トンネルまで送ってもらう。うっかりヘッドランプをザックの奥に入れてしまったので、K氏の後について歩く。ストック2本で壁と歩道の段差を触りながら歩くと、とくに不便はなかった。トラックが頻繁に通り過ぎるが、意外に臭くない。

トンネルを抜けるとすぐに、焼岳が見え始め、安房山、西穂、割谷山と順にみえる。やがて、西穂から明神にかけての一大パノラマが青空をバックに見えるようになる。なんと豪勢な眺めであることか。K氏は「重い荷物のときは早く目的地に着きたいという思いが強い」とのことで、どんどんと先に行く。遊歩道あたりを歩きたいと思っていたが、とうとう帝国ホテルまで来てしまう。せめて田代橋を渡ってウェストン碑の方へ寄り道しようと強引に誘う。日が当たるので、この右岸の道の方が乾いていた。河童橋で渡り返し、左岸のベンチで大休憩。時々人は通るが、ほとんど無人に近い上高地だ。ケショウヤナギの冬芽が美しい。

明神の方へ歩みを進めるとともに、明神岳の岩峰の姿が刻々と変わり、飽きさせない。明神の分岐点にザックを置き、池の方へ入っていく。明神橋の正面にはV峰が聳えている。池にはなんどか行ったはずだが、あまり記憶に残っていない。一の池はあっけらかんとしているが、二の池には枯木や岩がいくつも配置されており、日本庭園の枯山水の原型を見るような雰囲気だ。V峰の左手のP2264が鋭く正面に尖っている。ここからは六百山も背景として目立っている。明神橋の所に戻ってくると、サルが大勢で橋の横のロープを伝って散歩している。




明神二之池から六百山 



ザックを担ぎ再出発。徳本峠への道をわけ、しばらく行くと上流に、常念の真っ白のピラミッドが目に飛び込んでくる。左手には明神主峰や前穂の鋭い岩峰が見えるようになる。やがて常念が隠れて、中山2492、大天井岳が代わりに現れる。そして屏風の頭が、ヌックリと顔を出す。長七の頭2320、茶臼の頭2535などが、明神、前穂を隠すように存在を主張するようになる。とにかくめまぐるしい展開だ。そうこうするうちに徳沢園の赤い屋根が見えてくる。明るい広場には、サルが大勢で遊んでいる。完全に雪に覆われているのではなく、ハルニレなどの大樹のまわりには土が姿をあらわしている。冬季小屋を予約しておいたが、テントでも十分だった。上り下りはないし、どのみち食料は持参なのだから。

ここしばらくお客はないとかで、小屋の人も親切だ。お茶や漬け物などを出して、もてなしてくれる。ストーブが燃え、お湯がふんだんに使え、暖かい布団に寝られるのはやはりありがたい。この日は、炊事当番で、具沢山のおでんにした。食後、外に出て満点の星空を楽しむ。




2010. 4. 9 徳沢から蝶ヶ岳

コースタイム

650 徳沢園、707-17 アイゼン着用、812-23 中大広場、1040-58 休憩、1125 長塀山(2565)、1220-1300 蝶ヶ岳(2677)、1400-17 休憩、1540-50 中大広場、1632 徳沢園

朝の気温は−6℃程度。モルゲンロートに輝く明神、前穂に見とれる。小屋の人は、この時期、早めに帰る必要はないので、朝も暗いうちに出発したりせず、1日フルに楽しんでくればよいという意見だ。同感なので、遅めの出発となる。前日の下見で、しばらくはアイゼンが不要だと判断し、つぼ足で雪の道を登った。しばらくして、少し堅い所も出てきたので、アイゼン着用とする。





徳沢から仰ぐ明神T峰と前穂高




かなりの急傾斜の道。朝日が樹の間からもれ始める気分のよい登りだ。1時間ほどで傾斜がゆるみ、凹地のある地点にでる。中大広場というらしい。その後、夏道が大きく右手に折れる地点で、どうするかを苦慮する。右手の方に赤布がチラホラあったが、踏み跡はほとんどない。直登する方角にはいくつか古いへこみがあったので、そのまま登ることにする。雪の上なので何の問題もないと思っていたが、やがてブッシュをかき分けねばならぬ所に突入し、困ったことになった。しかし、右往左往しているうちに、なんとか低木の少ない所が見つかり、登っていく。ときどき、穂高の岩峰が顔を見せる。

少し展望のきく地点に出た所で、中食休憩とする。八ヶ岳、南ア、中アが見える。大滝山の高さ(2616)にかなり迫ってきたので、長塀山(2565)ももうすぐかなと期待する。槍ヶ岳が始めて見えた地点は、それからすぐの所だった。槍穂の縦走路も、乗鞍方面も見渡せる。最初そこが長塀山かと思ったが、実際はさらに20分ほど登った所のようだった。目印はなにも見えず、よくわからなかったが、木の間から見える蝶ヶ岳らしいピークがウェブサイトで見た写真と似ている。森林限界を抜けたあたりで、この日始めて大天井岳から常念岳の稜線を眺める。長塀山と妖精の池の間あたりと思われる。古い蝶ヶ岳も手前に見える。春山のよさを満喫できる時だ。あとはどんどんと視界が開け、広い雪原を気分良く登っていき、頂上に達する。





大天井岳から常念岳 


頂上への最後の登り




360°のパノラマが広がっている。立山、後立山方面は山かげで見えない。東側も妙高、白根、浅間、八ヶ岳などが指呼できるが、鮮明度はいまいちだ。富士も目を凝らしてやっと。南アの右端は聖と上河内がほぼ重なっているらしい。中アは縦方向から見ることになり、一つの塊になってしまう。御嶽山がとうとう一度も見えなかった。乗鞍も霞んでおり、個々のピークが明瞭でない。Tシャツ一枚で上がってきたが、さすがに頂上では寒い。上から長袖シャツを着て中食を食べる。40分も楽しんだのち、冷えてきたので下り始める。





蝶ヶ岳から明神・穂高連峰





蝶ヶ岳から槍ヶ岳


途中まではしっかりと自分達の足跡をたどれたが、登りのときに藪っぽい所に入ったあたりで、見失う。しかし、なんとか古い踏み跡をたどってK氏が下りていく。方向は西南西に向かっているので、心配することはない。時々思い出したように赤布があらわれたりする。見覚えのある中大広場に来て、少しだけあったあやふやさから解放され、小休止する。だんだんと土が出てくるともう徳沢だ。小屋にあるビールで乾杯し、しばし小屋の人と歓談する。この夜の星は前夜ほどではなかった。テントでもないのに、8時過ぎには2人とも寝始め、よく寝た3日間だった。



2010. 4. 10 徳沢から釜トンネル

コースタイム

800 徳沢園、920-52 明神、1046-1125 小梨平、1236-53 田代池、1318-37 大正池、1406 釜トンネル北入口、1420 釜トンネル南入口

急ぐことのない最終日。こんなにゆっくりした気分で終わるのも珍しい。明神までの道でも、明神岳や常念岳を眺めるために何度も立ち止まる。フキノトウを土産に採取する。明神では清流の川原にでて、蝶ヶ岳が見えているかどうかを確かめる。帰宅してから検討した結果、旧頂上は見えているが、われわれの登った新頂上は見えないというものだった。道標の柱にエルタテハがとまっていた。

小梨平でもたっぷり時間をかけて展望を楽しむ。河童橋にくらべて岳沢が随分近くにあり、迫力満点だ。ケショウヤナギの赤い枝が映えている。学生時代の5月に、一人で天狗沢を経由して、奥穂に登ったこと、その下りでグリセードをしていて足をとられ、一生にただ一度の真剣な滑落停止をしたこと、奥穂小屋から涸沢まで尻セードで一気に下ったことなどを思い出す。一度厳冬期に、天気を見計らってテントで数日過ごしてみたい。河童橋からは梓川沿いに下っていき、田代橋から自然研究路に入る。雪はしまっていて歩きやすい。田代池は埋まってしまい、池の風情はない。田代池跡とでも命名した方が実情にあっているかもしれない。それより、ありきたりではあるが大正池からの穂高がよかった。漣が立っていたが、やがて弱くなると、吊り尾根の姿が映るようになる。結局、完璧な鏡面になることはなかったが、風の強さで微妙に姿が変わるのが面白い。あとは車道へ上がり、釜トンネルへ。この日は土曜日だったので、途中で一台もトラックが通らず、気楽に車道を歩くことができた。





小梨平からの岳沢





大正池に映る西穂から明神



1971年4月に来たときは、沢渡から歩きはじめ、昔の釜トンネルを歩き、上高地の木村小屋に泊まった。トンネルは2005年に新しくなり、中ノ湯もこの年に高い所に引っ越した。貴重な木村小屋もなくなっている。移り変わりは激しい。蝶ヶ岳の頂上も、昔はP2664だったが、今はP2677とされているようだ。いわゆる頂上と三角点峰や最高峰がちがう例は他にも沢山あるが、頂上の位置を移動させたというのは珍しい。





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