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2010. 1. 26-28
 於茂登岳、桴海於茂登岳

航空会社のマイレージの一部が、月末で期限切れになるので北海道での山行を計画した。「山は大丈夫だろうけど、雪の林道を車で走るのが少し心配」と漏らしたのが失敗で、女房殿が珍しく強硬に反対したため、南の方角に切り替えた。

同行: 単独



2010. 1. 26 於茂登岳

コースタイ

1400 登山口P、1411 大御岳ぬ清水、1500-20 於茂登岳(526)、1552-54 滝、1604-10 大御岳ぬ清水、1620 登山口P

正午に空港着だが、那覇で昼食を済ませておいたので、レンタカーを借り、ボンベや食料を買ったあと、すぐ於茂登岳に向かう。天気は曇で、正面に見えてきた於茂登岳も少し元気がない。標高130m程度の登山口には2台の車が止まっていた。水のあるところに、はじめて見る白い花が咲いている。半分ほど登った所で、車の持ち主の8人ほどのグループが降りてきた。ちょうど白い花が咲いている所ですれ違ったので聞いてみると知っていた。サツマイナモリソウ(アカネ科)というらしい。センリョウの赤い実、ツバキ、エゴノキ、リュウキュウツワブキなどが目にとまる。



サツマイナモリソウ 
 

リュウキュウツワブキ



やがて右側の景色が開け、沢向こうの尾根が見えるようになると、道は東北方向に向きを変える。かなり背の高いサザンカの木があり、咲いている花、落ちている花が見られる。傾斜が少し急になるが、それをこえるとレーダーの立つ頂上の一角に飛び出す。頂上はそこからすぐだ。リュウキュウチクが生い茂っているが、その頭越しに、周りを見回す。桴海於茂登岳とウマヌファ岳が近い。川平湾は見えないが、その先の半島部や前嵩一帯が竹藪の頭越しに見える。反対側には底原ダムとカーラ岳が見える。いずれも厚い雲の下の陰鬱な感じで、沖縄の晴れやかさがないのが惜しい。頂上手前の分岐で右に行けば展望台があると書いてあったので、行ってみる。すぐそこの高みかと思っていたが、かなり先まで行く羽目になった。見えたものは頂上とほとんど同じ。底原ダムの右手に真栄里ダムが見えたのが違う程度で、わざわざ行くほどのことはなかった。


 

於茂登岳展望台から底原ダム
 

展望台から桴海於茂登岳とウマヌファ岳。
右奥に野底岳も


登りに寄らなかった滝へ行ってみる。水音から想像していたよりはやや大きなサイズのものが傾斜した岩の上を流れ落ちていた。やはり周りにサツマイナモリが群れていた。大御岳ぬ清水で喉を潤し、汗を拭き、サッパリとしてから車に戻る。209号線と出会う少し手前の橋から於茂登岳、ウマヌファ岳、桴海於茂登岳が並んでいる。進行方向には、カーラ岳、>140m、P139mが、宮城県の七つ森や静岡県の沼津アルプスのように並んでいる。


琉球海溝の平均深度は5000mというから、於茂登岳も海底からみると5500mの急峻な山らしい。5100mから残りの400mを登ったことになる。宿泊は、海辺のキャンプもよいかと、テント泊。米原キャンプ場の方が、色々と便利だが、完全封鎖されていたので、伊野田キャンプ場に車を進める。この日は管理人がおらず、勝手にテントを広げる。周りには誰もいない。


2010. 1. 27 桴海於茂登岳

コースタイ

815 登山口P、951-1004 休憩、1015 大岩、1048-53 岩峰群、1108 三叉路、1127-50 桴海於茂登岳(477)、1303 2度目の沢、1328 小尾根乗越、1430 登山口P

朝起きると、腰痛がひどい。立ち上がるのが大変で、これでは登山どころではないなと観念する。へっぴり腰で食事の準備などをしているうちに、何とかなりそうになってきた。これまでもよくあったパターンなので、歩き始めれば忘れるだろうと楽観する。

新ハイキング誌に出ていたウマヌファ岳と結んだ周回コースを狙った。しかし、あまり記録がない上、どの記事を見ても自信がなさそうな記述で、それを頼りに歩けそうにない。午後に登るつもりだったが、かなりの手応えがありそうなので、午前中に行くことに計画変更をした。それは正解だったが、まさか午前だけでは不十分とは思わなかったので、おやつ程度しか持たずに出発した。車の中にはいくらもあったし、一応大きなザックも持っていったので、全くバカなことをした。

入口は、知花食堂の横を入っていった突き当たり。目を凝らしてやっと分かる程度のかすかな踏み跡で、標識類は皆無。そこから入って踏み跡をたどり、イノシシよけの新しそうな柵にぶつかる。そこがゲートになっていたので、登山口であることは間違いない。そのまま踏み跡を辿り、沢を跨いで、さらに道は続いている。どんどんと西に進むので、これはおかしいと引き返す。新ハイの記事には「沢に沿って上流に向かうと、テープがあり、二手に道が分かれる」とあったので、なるほどと了解し、その指示に従って上流を目指す。道があるような、ないような所で、テープなどは目に入らない。藪こぎに近い大変な苦労である。熱帯地方特有のジャングルをかきわけていくが、慣れない植生なので、どの木はどの程度頼りになるかなどを知るまでに、多少の時間が必要だった。戦争中のニューギニアやビルマで苦労した兵隊の姿が頭をよぎる。こちらは楽しみで歩いているので、苦労の程度は桁違いだが。

沢の先が分かりにくくなって来たので、右手の尾根へよじ登ることにする。出発後1時間ほどの格闘ののち、尾根に出る。ここでやっとはじめてのテープに出会う。登山道に出たらしい。木々の間から、どこが見えているのかは分からないが、尾根やピークが見えるようになる。そのあとは、腕を使うのは、木や枝を掻き分けるためでなく、身体を持ち上げるときに使うだけとなり、やれやれである。比較的よい道が続き、ウマヌファには行けなくても、桴海於茂登は楽勝かと予想する。リュウキュウツワブキやセンリョウの実など、前日見たものがあらわれる。たまに、米原海岸や浦底湾のさきに野底岳から北の山々も見えて、やはり海の見える登山は楽しい。不思議なことに、道がだんだんと細くなってくる。手入れされた領域から徐々にはずれてきたらしい。


やがて桴海於茂登のピークがかなりの高さの所に見えるようになる。しかし、赤紐やテープに導かれる方角は頂上とは逆の西に向かっている。間に見える谷間に降りるのが大変で、少し巻き道をして南側の尾根から登るのかなと考え、どんどんと進む。前日登った於茂登岳が正面に見え始める。そのうち大きな岩がゴロゴロしている所に到達する。道などはないが、回り込んだり、よじ登ったりして、岩峰のピークに達する。海岸線は見えるものの、それほどの光景ではない。このような所に来るために、どうしてこれほどの目印を付けてあるのかが分からない。目指す桴海於茂登は一段と遠くなり、ひょっとしたら諦めて下ることになるのかなと心配になってきた。とにかく、戻ってみる。



岩峰の一つから桴海於茂登岳


岩峰から15分戻ると、来るときに気がつかなかったT字路にでる。ここで曲がらなければならなかったのに、直進してしまったのだ。なにか簡単な標識が欲しい所だが、とにかくこの山には一切の標識はなかった。そこを右折し、大した下りもなく、鞍部を通り過ぎて、最後の登りにかかる。分岐から20分ほどで頂上に達する。三角点があるので間違いはない。岩の上からは、リュウキュウチクの上に於茂登岳とその左手にウファヌマ岳が見える。浦底湾の向こうには野底岳なども見えている。正午近かったが、あまり持ち合わせがなかったので、ゆで玉子、ヨーカン、野菜ジュースなど持っているものをすべて腹に収め、下山するまで空腹にならないことを祈る。



頂上から見たウマヌファ岳と於茂登岳 


頂上直下から見た川平湾、前嵩 



北側にも下りる道があったが、ここは知った道を下るのが安全と来た道に進む。少し下り始めると、西側の景色が開ける。先ほどの岩峰、川平の鮮やかな色の海岸、米原のアウトリーフなどが心地よい。
このあとで、来た道にでることができなかった。いくら思い出しても、理解できない。登ってきたときには、三叉路から10分でちょっと開けた感じの鞍部、そこから5分で左側への脇道、そしてさらに5分で頂上だった。頂上から少し下って脇道を通りすぎたので、そこまでは間違いなく来た道をもどっている。しかし、開けた感じの鞍部に到達せず、どんどん下りていく。20分で小沢に出てしまう。全く覚えのない所であるが、テープはいくつもぶら下がっており、かなりの人が歩いていることは間違いない。しかし、来た道を下ろうと決心していたので、もう一度登り返してみる。目指していたものかどうかは分からないが、三叉路にでる。直進すると元に戻ることは分かっていたので、左折してしばらく行ってみる。朝にあるいた岩峰への道を歩いていることはすぐに分かった。15分ほど行ったのち引き返す。この道を戻れば、朝に見つけた三叉路に戻るはずだ。そこを直進すれば、朝に登ってきた尾根道に行ける。しかし、やはり先ほどの三叉路に戻ってきただけ。左に行けば頂上、右に行けば小沢。どうしようかと迷ったが、沢を伝って降りる方を選ぶ。新ハイに紹介されていたウマヌファ岳との間の沢に出ることは間違いなさそうだったので、米原とは逆の南方向への道だったが、それほどの不安はない。

沢に降りて進んでいくと、やはり沢は東から北東方向へと曲がっていく。やや開けた地点で、前日に於茂登岳で出会った8人程度の女性中心のグループが休んでいた。下から上がってきたが、道がわからなくと往生したと言っている。ウマヌファとの分岐はこの下ですかと聞いても、分からないという。あとで考えると、この辺りに分岐があったのかもしれない。人と出会ってしまって、ゆっくりと周りを見回すことをしなかった。そのあとも、何の問題もないはっきりした道を行く。すぐに沢を離れ、2つほど小尾根を乗り越えるトラバース道だ。終点に近づくとヤエヤマヤシが群落を作っており、見応えがある。小沢に降り立ってから1時間半で登山口に戻った。素直に歩いていたとすると、頂上から2時間足らずというところか。そして、登山道はイノシシよけの柵に突き当たったが、そのすぐ左手が出入口だった。つまり、最初にゲートを通りすぎて、直進したが、柵に沿って少しだけ東方向に進むとよかったのだ。といっても、柵から登山道へと誘導するテープもないし、道もしっかりしていないので、簡単に見つかるかどうかは保証できない。

なんとか空腹感もなく、下山できた。腰痛もほとんど出なかった。ただ藪こぎのためか、腕全体や腹部に発疹ができて、痒いことおびただしい。駐車したところに、カッコウアザミというはじめて見るうす紫の花が咲いていた。先ほどの人達の2台の赤い車はなかった。どこに駐車したのだろう。山原の方まで車を走らせて、海の見えるレストランで気分よく昼食をとる。川平の半島、野底岳、真横に桴海於茂登が見える。頂上が見えているのかどうか分からない。ここの人は誰に聞いても、桴海於茂登という名前を知らない。そのあと、米原海岸で少しだけ、海に入ってみる。夏なら、人で海岸が満ちあふれるのだろうが、この日は母親と子供2人がいるだけ。泳げない温度ではなかったが、潮位が高く、珊瑚礁などが簡単に見えるような雰囲気ではなかったので、「年寄りの冷や水」をしないことに。透明感にあふれた海に入っただけでもよかった。これほどきれいな海水を見たことがあっただろうか。ちなみに伊野田キャンプ場のそばの海も覗いてみたが、少し異物が浮かんでいたり、透明感も不足したりで、差は際だっていた。

この夕方には、月も出て穏やかな雰囲気だったが、空模様は刻々と変わる。腰の運動を丁寧にしてから、横たわる。


2010. 1. 28 野底岳

コースタイ

813 登山口P、843 短縮登山道と合流、853-900 野底岳(282m)、938 登山口P、950-1055 吹通川ヒルギ群落、1200 荒川橋P、1240-1300 カンヒザクラ自生地、1339 荒川橋P

朝、目を覚ますと、また曇り空だ。一瞬、星空がひろがった。急いで、木のない広場の方へ行く。春の大曲線などを久しぶりに見る。サソリ座がさすがに高い。尻尾までしっかりと見えた。しかし、あっという間に、雲が出てきて、北斗七星の柄の部分が欠けてしまったかと思うと、やがて全天から星が消えた。7時近くまで暗いのはさすがに最西端の土地だけある。

この日は、キャンプ場から北進し、玉取崎展望台に立ち寄る。ちょうど朝日が雲間から出てきたばかりで、よい雰囲気だった。ハイビスカスがあちこちに植えてある公園。背後には、金武岳が聳えている。車を走らせて、野底に向かう。途中で伊原間湾越しに見えるハンナ岳などの北部の景観も魅力的だった。兼城の集落を過ぎて、案内に従って左折する。サトウキビ畑の中にすっくと野底岳が突っ立っている。頂角は70°程度で、槍ヶ岳やワイスホルンを凌駕し、マッターホルンと同程度のトンガリ度だ。



野底岳(野底マーペ)


小川の脇にある登山口に案内板がある。桴海於茂登とは格段の差だ。信号をキャッチするため、車の上にGPSを置いておく。しばらく歩いてから、GPSを置き忘れたことに気がついたが、面倒なのでそのまま登り続ける。地図にコースも書いてないので、どのように道がついているのかを知りたかっただけなので、支障はない。よく整備された道だが、ほぼ登り一方である。特徴のある赤土の道が出てくるが、滑りやすいというほどではない。濡れていると確かに大変だろう。林道からの短縮登山道と合流すると、まもなく急登となり、それが終わるとあたかも森林限界を越えたかのように、視界が開ける。すぐに頂上だ。ヌスクマーペの伝説を解説してある。場違いとも言える大きな案内板だ。その裏にある頂上の岩に登ると、ぐるりと見回せる。あいにくの曇り空で、於茂登岳方面は霞んでいるが、目の下の野底崎、はんな岳などの北側、東の金武岳と大野岳がぐるりと見回せる。下り道では、エゴノキの落花が沢山目についた。GPSは、やはり車の屋根の上で、しっかりと衛星をキャッチして待っていた。



大浦山(192)、その右後にはんな岳(239)、遠方に安良岳(366)



下山後、吹通川に向かう。少しだけ海の方に行ってみる。傷ついたジャコウアゲハがよたよたと砂浜を歩いていた。引き返して川の上流に向かう。短パン、地下足袋、ポール1本で、過不足のない装束だ。これまでも、フロリダやニューオルリンズでマングローブ林のボートツアーに参加したことがあるが、やはり歩くのが一番だ。群落の名にふさわしい偉容。オヒルギ、メヒルギはすぐ分かったが、膝根、板根というのを楽しみにしていたのに、すぐには見つからず予想外だった。それでも、やがて膝根はかなり見つかった。一つ一つがまるで五百羅漢のようで、見飽きない。膝までの水に浸かって、川の右岸に行くと、膝根がいっぱいあった。1時間ほどいたが、板根の方には出会わずじまいだ。多分ガイドと一緒に歩いていたとすると、すぐ教えてくれたのだろう。あちこちで飛び跳ねるのがいるので、最初ムツゴロウかと思った。ミナミトビハゼ(トントンミー)というらしい。どちらも英語ではMudskipperという同じ仲間。色は泥色、目はグロテスクだが愛嬌があり、可愛らしい。上流からカヌーが2艘下りてきた。それも楽しいそうだが、歩くのにはかなわないだろう。

山原でハンバーグの昼食。石垣島のハンバーグは評判がよいが、とくに取り立てるほどのものではない。このレストランも海が見下ろせる所にあり、前日に引き続いて、ベランダで食べる。この景色がなによりのご馳走。やはり前嵩、東シナ海、野底岳、桴海於茂登岳と見回せる。桴海於茂登の頂上がギリギリで見えているようだ。

荒川のカンヒザクラの自生地を見たくて、かなり調べたが、どのくらい時間がかかるのかは分からなかった。飛行機に乗り遅れないように歩かないといけない。入口は、荒川橋のそばに天然記念物に指定されたときの碑が建てられたところが駐車場になっており、そこから階段が下りているので、明快だ。ウェブサイトには「荒川のカンヒザクラ自生地は山奥で道もなく、ひたすら渓流沿いを遡行しなくてはいけないので、ほとんどの人が見たことがありません。」という説明があったが、この説明は古く、今は道がついていた。最初はその道が分からず、沢に沿って上がっていく。すぐにイノシシよけの柵が川をまたいで張り巡らされている。どこかにゲートがあるはずと、右岸の方へ金網に捕まりながら進む。案の定ゲートが出てきた。そこを越えて、遊歩道的なところを歩くと、自然にきれいな荒川の川床に下りてしまった。そのあとは全くテープもなければ、踏み跡らしきものもない。早々に撤退かと戻る。しかし、すぐに、見落としていた道が見つかる。13:15を限度と決め、前進することにする。道はよい。当初、沢音も聞こえていたが、やがてどんどんと尾根に上がっていき、たまに谷が見下ろせるところでは100mほども川から高くなっている。P238にでも登ってから下りるのかなとも思ったが、そうではなかった。35分後に、ピークに達したのでもないのに道は下りはじめ、方角も南西に変わった。

すぐに、人声がした。そしてカンヒザクラがあった。その下で3人が休んでいたのだ。駐車場に車が2台あったので、うまくすれば、その人達から情報が得られるかと期待していたのだが、出会ったのとカンヒザクラを見たのが同時だった。「カンヒザクラとはこんな花だったのか」と声をあげるほどの見事な色だった。花を見るだけならば、公園などにも沢山咲いているらしいので、自生地にこだわるのもおかしいのだが、やはり感慨深いものがある。そばには小さな滝もあり、目を巡らせると何本ものサクラがあちこちに、ポツポツとある。公園で固まって咲いているのとは、やはり趣が違う。怪しげな道をかきわけて、少し周りのサクラを探索する。帰ろうとすると、3人組は川の遡行をはじめていた。この辺に詳しい地元の人だったのだろう。

    

吹通川のオヒルギと膝根


荒川のカンヒザクラ 


下りは、時間の心配もなくなったので、気持ちよい散歩になる。さきほどの美しい川原で汗をふく。ゲートを過ぎて、山道を素直に降りると、駐車場の階段にドンピシャリで出た。出発時に、階段を下りてから、川を目指したのが間違いで、まっすぐ進めば、山道だった。

美しい色合いの川平湾でゆっくりと休憩する。車を出そうとすると、雨が降り始め、名蔵湾あたりで猛烈な降りになった。しかし、石垣市内に入ると既にやんでいた。いかにも南国らしい光景だった。この3日のうち、雨に遭ったのはこの運転中だけだったのは、恵まれていた。快晴には恵まれなかったが、要所要所で日照もあったので、十分満足できた。



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