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2009.
11.27-28 霧島山



学生時代に友人と二人で、霧島に登るべく、えびの高原に滞在し、翌日登り始めたが、雨が降り出し、何の用意もしていなかったので早々に引き上げてしまった。ほとんど記憶が残っていない霧島に再訪を果たす。鹿児島の仕事を少し早めに切り上げ、宮崎行きの高速バスに乗り込む。小林ICまで行けば、宿の迎えがある。それ以外には何の交通手段もない時代になったのだ。翌日は土日だけ運行するという高千穂河原から霧島神宮行きのバス、JR、空港バス、飛行機を乗り継げば、その日のうちに帰阪できるという離れ業のようなプラン。

同行: 単独

2009.11.27 白鳥山、硫黄山

コースタイ

1528 えびの高原荘、1549 分岐点、1606-08 白鳥山(1363)、1632 六観音、1650-55 不動池BS、1705 硫黄山(1317)、1729 えびの高原荘 

小林ICでは、手違いで約束の時間に迎えが来ておらず、30分ほど待つ。正面にピラミダルな夷守岳(ヒナモリダケ)が聳えていて存在感がある。えびの高原までは、曲がりくねった道を行くので30分以上かかったが、高原を越え、森の中を通り過ぎて、えびの高原ののびやかな風景の中に飛び出したときの気分は最高だ。国民宿舎としては立派な宿に入ると、窓の正面に韓国岳の二つの峰が目の前に迫力ある姿を見せている。本来なら、ゆっくりと山を眺め、温泉につかっているとよいのだが、貧乏性なので、白鳥山の方へ出かけることにする。

展望台で、もう一度韓国岳の全貌をほしいままにし、白鳥山を目指して歩き始める。少しの間、散策している人とすれ違ったが、白紫池との分岐を過ぎてからは、時間が遅いせいもあって誰にも会わなくなった。途中、御池とその奥に台形の甑岳が見える地点がある。すぐそのあと、白紫池とそのうしろの白鳥山が見えてくる。白鳥山の頂上から眺める韓国岳と白紫池のコンビネーションもよい。




白紫池と韓国岳


下りはじめると翳りはじめた御池がよい色をしている。甑岳、夷守岳もその後に特徴のある山容を見せている。推定500年以上という巨大な杉が数本聳えているところを通りすぎるとすぐ六観音だ。白鳥山という名前から分かるようにヤマトタケルの伝説のあるもので、かつては大勢の参拝者が通ったという。不動池の近くまで来ると、韓国岳に射していた夕日もほぼ消えてしまった。姿もかなり変化し、北側の鋭鋒が目立つようになってきた。

舗装道路に降り立った向かい側に、硫黄山登山口の標識があったが、この日は白鳥山だけのつもりがお池めぐりまでしてしまったので、それ以上は行くまいと宿の方に歩き始める。ところが地図を取り出して眺めていると、硫黄山というのはすぐそこで、しかもそれを通り越して、高原荘の方へ抜けられることが分かった。それなら行かない手はないと、引き返し、登り始める。あっという間に頂上にでた。名前の通り、賽の河原のような寒々しい光景が広がっている。ここから下っていくと、韓国岳への道標を通り過ぎ、分かりやすい遊歩道を通って、ビジターセンターの駐車場に着く。翌朝の暗がりの中で、この道を探すのは至難の業となっていたので、この日の硫黄山への寄り道が思いがけない予行演習となった。宿に帰るとすっかり暗くなっていた。



夕暮れの硫黄山から変貌した韓国岳


2009.11.28 えびの高原から高千穂河原まで

コースタイ

545 えびの高原荘、707-17 韓国岳(1700)、819 獅子戸岳(1429)、830 新湯分岐、857-907 新燃岳(1421)、915 湯之野への分岐、929-30 中岳(1345)、1013-16 高千穂河原、1104-1124 御鉢分岐、1200-06 高千穂峰(1573)、1259 高千穂河原

前日の遊歩道のコースタイムと実際に要した時間を見比べ、なんとか高千穂峰の往復を入れても、1329発のバスに乗れそうだとの感触を掴む。無理そうなら途中で引き返せばよいだけだ。5時に起き、作っておいて貰った朝食代わりのおにぎりを部屋で食べてから、ランプをつけて出発する。見上げると、北斗七星を中心に春の星座が広がっている。透明度はそれほどよくないので、星座を見分けるのにちょうどよい程度の星の数だ。前日に下見をしていなければ、かなりのロスがあっただろうが、幸い何の苦労もなく、登山道へと入って行けた。

前方にランプがチラチラしていたが、やがてその2人連れが衣類の調整をしているそばを通り抜ける。お互いに顔も見えない。3合目でランプを消し、ゴアの上着を脱いで身軽になる。4合目当たりから、えびの高原が見渡せるようになる。栗野岳、白鳥山、硫黄山などがならび、左手に立ち上っている水蒸気は大霧地熱発電所のものだろうか。やがて大浪池が見え始め、空もかなり明るくなってくる。頂上でご来光は無理そうだなと覚悟した通り、頂上に着いたときにはすでに高千穂峰の横に朝日が顔を出していた。ここにはどこから登ってきたのか6-7人のハイカーがおり、よい写真が撮れたらしく、一様に満足そうな顔をしていた。

頂上で少しゆっくりと展望を楽しむ。獅子戸岳、新燃岳、高千穂峰と特徴のある姿の山々が立ち並ぶさまは荘厳ささえ漂う。高千穂峰の見事な姿を見ていると、霧島の代表的な山と言う人がいることもうなずける。とくに、獅子戸岳方面からふり返ったときの韓国岳は凡庸な姿をしているので、とくにそのような印象になるのかもしれない。えびの高原からの韓国岳は決して凡庸ではない。

韓国岳からの下りは最初は少し急だが、そのうちのんびりとした高原散歩のような雰囲気になる。格好のテントサイトも4ヶ所ほど見られたが、もちろん水はない。獅子戸岳はどうということのないピーク。そのあとのコルは新湯との分岐になっており、一人の男性が休んでいた。新湯からきて、大幡池の方へ抜けるという。

新燃岳の火口壁の一端に登りつくと、目の前に火口湖が美しい緑色の水を湛えて静まりかえり、ゴツゴツとしたP1419がアクセントを添えている。どう見てもこちらのピークの方が最高点より高く見える。ピークとして突き出しているための錯覚なのだろう。幾筋もの噴煙があがっており、死火山でないことを物語っている。火口壁を西側へ辿るのは禁止されている。東側を歩く方が景色に変化があり、最高ピークのP1421も踏めるので、残念とは思わない。出発後3時間たったので、ピーク近くの木道に腰をかけ、複雑な地形の中岳を見ながら、少し中食をとる。阿蘇、久住、由布などと似たのびやかな景色が広がるのがいかにも九州らしい。えびの高原からの2人連れが通り過ぎていく。この日に縦走したのは3人だけだろう。




新燃岳の火口


中岳の火口壁を辿りながら、火口丘に登るトレースがあるのが見えたが、ゆっくりしていることはできないので、通り過ぎる。山岳マラソンの若者がどこからか現れて消えていった。中岳を下っていくと、例の2人が休んでいる。「どのピークでも立ち止まらなかったようだが、変わっているね」というと、声をあげて大笑いしていた。この辺りから、また高千穂河原から部分的に登ってくる人が、チラホラ現れはじめた。一株だけ、ミツバツツジの狂い咲きがあった。春ならさぞ見事な高原に変身するのだろう。えびの高原ホテルから4時間半で高千穂河原に着く。

水道の水で口を湿らせ、バス停を確認しただけで、鳥居をくぐり、古宮跡の天孫降臨神籬斎場に向かう。神話に興味はないが、ここから見る中岳は大きく、悪くなかった。登山道には多くの人が行き来しており、人気のほどが伺える。御鉢の縁までの道がザレ場になっており、歩きにくい。御鉢は一周できないように柵が作られていた。その手前で腰を下ろし、中食をとる。御鉢の反対側や高千穂峰を隠すガスが出始め、少し変化が出てきた。

ぐるりと半周すると、高千穂が正面に見え、すぐ下には鳥居が見える。そこから頂上までは、足もとも悪くなく、ひと登りで到着した。鎖で囲まれた逆鉾が突き刺さっている。ちょうど昼食の時間なので、かなりの人が休んでいる。




頂上から御鉢の右半分を見下ろす


12時に頂上から降り始めれば、間違いなくバスに間に合うと計算していたが、十分の余裕をもって河原に降り立つことができた。
茶店でビールを飲み、バスに乗り込むが、数人の乗客がいるだけで、ほとんどの人は自家用車かチャーターバスで来ていたことになる。山ではほとんど紅葉などはなかったが、帰りのバスが霧島神宮の近くを走ったときには街道にみごとな紅葉が並んでいた。飛行機まで時間があったので、霧島神宮駅からJRで隼人駅まで行き、隼人塚に行く。10年ほど前に修復された苔むした石塔3基と石像4基がある。8世紀初めに反乱を起して征伐された隼人族の慰霊塔との伝承もあったが、最近では、平安時代の仏教遺跡と考えられるようになってきたという。隣の隼人塚史跡館に立ち寄り、余り知らなかった隼人の歴史を学ぶ。国分駅まで1駅引き返して、鹿児島空港行きのリムジンバスに乗り込んだ。



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