トップページへ      地域別索引へ      中部地方索引へ       年次別索引へ


2009. 02. 25 - 26
  雲取山、飛龍山


東京での仕事のあと、立川に一泊して鷹ノ巣に登ることを考えていたが、もう一泊すれば雲取・飛龍にも登れることが分かったので、計画を膨らませる。山頂避難小屋に泊まることも考えたが、やはり寒いのは有り難くない。番人もいる奥多摩小屋なら暖かいが、雲取頂上を2日目しか踏めない。2日のうちどちらかだけがよくなる可能性もあることを考えて、頂上=小屋の間を往復することになるが、雲取山荘泊と決める。食事付きにしたので、暗くなる前に着けばよい。途中をゆっくり歩くことにする。

同行: 単独


2009. 02. 25  鷹ノ巣山・雲取山

コースタイム

0835 中日原BS、0932-1000 稲村岩分岐(稲村岩往復)、1142 ヒルメシクイのタワ(P1562b)、1213-18 鷹ノ巣山(1737b)、1235-55 鷹ノ巣山避難小屋、1329 日蔭名栗山(1725b)、1403-04 高丸山(1733)、1510-20 七ツ石山(1757b)、1606 奥多摩小屋、1617 ヨモギの頭(1813b)、1648 小雲取山(1937b)、1717-28 雲取山(2017b)、1750 雲取山荘

バスの乗客は2人だけ。もう1人の中年登山者も中日原で下車。予定を聞くと、山頂避難小屋泊で、翌日は飛龍を越えて丹波に降りるというほぼ同じ日程。彼がストレッチングをしているうちに、先に出発する。雨がパラパラしてきたので、上下の雨具をつける。稲村岩を見上げながらどこから岩頭への道があるのかなと探していたが、脇を通り過ぎてジグザグ道を登り切った所に分岐点があった。荷物を降ろして、岩まで行こうとしていると中年氏も到着した。頂上まで行っても大した光景が期待できるのでもなかったが、二度と来ることもないかと寄り道したのである。ガスのなかで、滝入ノ峰やこれから歩く稲村岩尾根が見えたので、まあ行った甲斐があった。鷹ノ巣方面はガスに包まれている。

分岐点にもどり登り始めると、積雪は少ないものの、氷で覆われている所が増えたので、1150m付近で軽アイゼンをつける。面倒がらずに早めにつけるのが賢明であるというのは小金沢連嶺の教訓だ。先行した中年氏も、すぐその後で8本爪のアイゼンを着用したらしいことが足跡で読み取れる。少し勾配がきつくなった辺りで、追いつく。やはり荷物の重さの差が急登になるときいてくるようだ。この人とはこれでお別れになり、下山するまで他の登山者に会うことはなかった。

鷹ノ巣山の頂上もガスの中なので、すぐに避難小屋の方へ向かい、そこのベンチに腰を下ろして昼食とする。日蔭名栗山と高丸山には巻き道があるが、今回は丁寧に全部登ろうと思っていたので、稜線コースをとる。地形図の等高線から予想しなかったような急登だ。防火帯のようで、ジグザグ道などでなく、まっすぐに登り下るので、そのような印象になったらしい。この辺りから少しずつガスがとぎれ始め、奥多摩方面の民家などがチラホラと見えた。七ツ石の手前で巻道と合流するが、巻道を使う人がはるかに多いという印象だ。七ツ石の山頂に着いた頃には、かなり展望が効くようになっており、雲取山から三ッ山方面を見ることができた。



鷹ノ巣山頂上へ

奥多摩小屋の手前のヘリポートから、富士山の一部が見え、その真下に三角形の雁腹摺山、その右に小金沢連嶺が姿をあらわし始めた。ヨモギの頭、小雲取山、雲取山と時間が経つにつれ、遠望がますますきくようになり、雲取からは大パノラマが展開した。日が射してはいないが、空気が澄んでいるのであろう、実に明瞭に山の姿が浮かんでいる。雁腹摺山、富士山、御坂黒岳、牛奥、小金沢、熊沢山、大菩薩嶺、大無間、青薙、布引、笊、上河内、聖、兎、前飛龍、赤石、悪沢、蝙蝠(辛うじて)、白根三山や鳳凰は下半分だけ、黒金、北千丈、国師、唐松尾、木賊、甲武信、三宝、武信白岩、白石(和名倉)。その右は、木が邪魔し、雲も多いのでよく分からない。木が切れて三ツドッケ、川苔、本仁田、鷹ノ巣、大岳、日蔭名栗、御前。また少し木に遮られたあと、三頭の奥に丹沢三峰、丹沢、蛭、臼、檜洞、大室、加入道、畦ヶ丸までが避難小屋の先に見えている。また遮られたあとは雁腹摺山、富士に戻る。富士の真下にちょっとだけ頭を出しているのが三ツ峠。




前飛龍・飛龍山の先に南アルプスの全貌


鷹ノ巣小屋ではずしたアイゼンをもう一度つけて、小屋への下りにかかる。予想通り、大変厳しい氷道だった。一度、滑り台のように滑ってしまう。小屋に着く頃はもうほとんど夜のとばりが下りていたが、ヘッドランプであの氷道を下るとすれば、大層難儀したことだろう。18:00から夕食という10分前に着く。泊まり客は一人だけなので、靴やアイゼンをそのままでよいから、すぐに食事をしてくれと言われる。結構よい食事だ。朝出発直後に雨具をつけて以来、Tシャツと雨具だけで歩き通した。それでも、小屋の暖房に接すると、ホカホカと暖かいので、冷たいビールを注文する。TVで天気予報とニュースを見てから、部屋に引き上げる。




雲取小屋に到着



2009. 02 .26  飛龍山

コースタイム

0630 雲取山荘、0716-19 雲取山、0753 三条ダルミ、0840 狼平、0930-40 休憩、1024-30 北天のタル、1100 飛龍への登り口、1116-35 飛龍山(2077b)、1155-1205 飛龍権現(禿岩往復)、1245 前飛龍(1954b)、1252-1300 三叉路、1402-05 熊倉山(1624b)、1436-43 サヲウラ峠、1521-32 丹波天平(1343b)、1616 高畑集落跡、1636 親川、1654 鴨沢西BS

朝の外気温は−3℃という。それほど寒くない。起きたときは曇り空という感じだったが、食事を終える頃はガスに包まれてしまった。6:30に出発する。前日と同じ、2枚でなんとかなるが、さすがに手は裸では駄目で、歩き始めて数歩ですぐに手袋をはめる。前日苦労した所だが、登りは比較的楽な感じである。アイゼンをしっかりと蹴り込めば安心できる。問題はポールだ。周りに雪か土がないときに、無意識に体重をかけて、氷にはじかれてしまうときが非常に危ない。3点確保どころか、2点確保もままならないときは、片足のアイゼンだけを頼りに、もう一方を踏み出すということになる。傾斜がきつくないときはほとんど問題ない。ガスに包まれた深い森の中を歩いていると、奥秩父に来たという感慨がじわじわと湧いてくる。展望が好きなのに、このような霧の中、あるいは雨の中が全く嫌でないのは、おそらく遠くの山も、空の青さも、日の光の輝きも目に入らないため、森の深さにしっかりと包まれる感触が何にも代え難い喜びとなるためかもしれない。

雲取山は何の展望もないが、前日に満喫できたので、心残りもなく通り過ぎる。念のため小屋を覗いてみたが、例の中年氏の姿はない。その後も新しい足跡が全くなかったので、奥多摩小屋で泊まったのだろう。北斜面が終わったので、アイゼンはもう不要かと期待したが、とんでもない。ずっと氷の道と付き合うことになる。やはり下りが大変だ。登りの時のように、体重をかけて蹴り込むことがなかなかできず、つい気楽に踵から足を下ろしたりするとテキメンに滑る。軽アイゼンでなければもう少し気楽に足を下ろせそうだが、総合的にみればやはり軽アイゼンに軍配が上がるのだろう。固体状になった霧が肌に当たるようになる。初めての経験だ。丹沢ほどではないが、かなり成長した霧氷が目を楽しませてくれる。三条ダルミまで下りると、緊張はやわらぐ。傾斜さえ緩やかならば、氷道でもガツガツあるいはバリバリと音を立てながら、夏道と同じ早さで歩ける。やがて右手に広々とした原が出てきた。標識はなかったが雰囲気からすると狼平らしい。頻繁に木道が出てくる。それらがない時代には尾根通しに歩いたのだろう。木道のお陰で斜面を巻きながら、「効率的に」歩くことができるが、その分、面白み・深みが減っているはずだ。

歩き始めて3時間になったとき、腰をかけるのに適当な岩があったので、カロリー補給の休憩とする。この付近も霧氷が見事に成長している。そこから40分程度で北天のタルに着く。三条の湯からの道には足跡がない。

ここから、飛龍権現に行く途中に、飛龍への直接登る道があるというので、山小屋の主人に確かめておいた。小さな札が懸かっているという。右手を注意しながら歩いていくと、標識が下に落ちていた。拾い上げて裏面を見ようとしても、凍った地面に食い込んでいたので駄目だった。しかし、ピンクのテープもあったので、まず間違いないだろう。右手の斜面に入っていくとそれらしき道はすぐになくなり、適当に尾根を目指して登る。登り切った所には目印がなかったが、少し頂上の方に進むと、テープがあった。「ここから下りなさい」という印らしい。すぐに山頂となる。何もないので一瞬戸惑ったが、一本の丸太が立っており、裏に回り込むと飛龍山と書いてあった。なんと素朴な山頂だろう。山梨百名山でもあり、雲取より高いのにこの慎ましやかさはどうだ。展望に恵まれないためか、深田百名山に取り残されたためか知らないが、奥秩父らしくて好感がもてる。少し風があるので、木陰に座って、昼食をとる。今回は固形燃料も持ってこなかったので、パンをチーズと漬け物で食べる。熱いお茶がいつものスープ替わり。




飛龍山頂上



道標の近くに南に下りる踏み跡があったが、登山道は2077bの最高点の方へ行くようになっているので、西に進む。トレースがない。今回初めて処女雪の上を歩くことになった。一度踏み抜き、膝まで潜ったときには、登って来た道を引き返すことも、チラリと頭をかすめた。磁石を頻繁にチェックしながら歩いていくと、そのうちWからSWへと方向が変り、やがて明瞭な尾根を歩いているという感触がつかめたので、少し安心する。テープも出てきた。足下の固い感じも登山道を外していないことを教えている。15分下った所で、下からのお迎えのトレースが来ていた。数人がここまできて、引き返したらしい。飛龍権現はすぐだった。

この日のうちに家まで帰ることにしていたので、余り時間がないのを知っていたのに、禿岩まで足を延ばす。小屋の人から将監の方へ10bほどいった所だと聞いていたので、行ったが、100bの聞き違えらしかった。もちろんこの日は何の展望もないが、好展望地であることは理解できた。

その後もまだまだ氷道の下りが続く。道の左手に小ピークがあり、テープも懸かっていたので、前飛龍だと惜しいと思い、寄り道しておく。なにもなかった。先ほどの禿岩とここでのロスが後で問題にならなければよいが。しかし、一方では、駄目なら駄目で奥多摩あたりでもう一泊して帰ればいいと、気楽に考え始めていたので、それほど深刻でもない。定年になってからは、このように気楽でおれるのが何より嬉しい。次のピークが前飛龍だった、と言っても予想通り何の標識もなかったが、その後ですぐに三叉路になったので、確信した。ここも本飛龍の慎ましさを受け継いでいる。そのあとで3回目の転倒をやり、かなり膝を痛めた。歩くには支障がなかったのでホッとする。1710b付近まで下りたEからSEへのターンの所で、アイゼンが不要になった。実際には邪魔にならなかったのでそのままにする。熊倉山付近も霧氷が美しい。

14:36にサヲウラ峠に着いて、アイゼンを外し、初めて真剣に時間を計算する。丹波までのコースタイムが1:30なので、とても15:40のバスには間に合わない。その次の最終バスなら、どこかでもう一泊になる。それなら不思議な名前の丹波天平(でんでいろ)を通って親川に出る方がましと考え、そちらに進む。ガスの中に色々の樹が並んでおり、扇ノ山を思い出す。名前通り広々としたすばらしい雰囲気の所である。どの辺を歩いているのか分からないままに、丹波への道を分ける三叉路に出てしまう。ここに標識があり、ここら一帯が丹波天平であることを知る。しかし、直前にあった三角点を見過ごしたのは悔しい。今回はできるだけ忠実にと、わざわざ小雲取の最高点まで立寄ったりしていたのに。




丹波天平



空腹を覚えたので少し立ち止まり、腹を満たしながら、もう一度時間の計算をする。ここから親川まで1時間という記録があったので、親川から鴨川西まで歩いて、16:55発のバスに乗れる可能性がある。もう一泊も魅力的だが、膝も少し気になるので、できれば帰宅しようと決心する。枯葉に埋もれた道を見失わないように、目を皿のようにして進む。気分のよい所だが、少し分かりにくい。大変分かりにくい所にはテープがあって、その配置が必要最小限という感じで好ましい。地形図ではほぼSEに下るようになっているが、かなり大きく曲がったりしたので、その通りに歩いたのでないことは間違いないが、よく分からない。どこにいるのかが分からないのは落ち着かない。あとで読んだ別の人のHPを参考にして、思い出してみた。P1118b辺りを保之瀬天平というらしいが、その辺りで25000地形図の破線をはずれ、三条の湯から来る道沿いにある後山集落跡を経て、高畑集落跡という3軒のあばらやに出たらしい。GPSの電池が消耗していたのが残念だ。いずれにせよ、あばらやの所に親川バス停へという標識があったので、やっと正しい道にいることを確信できた。地形図の三差路もないのが不思議だったが、これも有名無実のものになっているらしい。青梅街道の親川に出る。

バス停はわからなかったが、鴨川西を出発するバスの時刻まで19分ある。案内には徒歩20分とあったので、少し急ぎ足で青梅街道を歩く。川下に下るのだから、少しくらい走れるかと考えていたが、実際にはゆるい登り道が続くのは意外だった。親川が550mで、鴨沢西は560m程度か。どこにバス停があるのかも知らなかったが、遠くカーブの先にバスが停まっているのが見えた。発車1分前に到着し、無事その日のうちに帰阪できた。帰ってみると、やはり膝が少し痛くなったので、泊まらないことにしてよかった。



トップページへ      地域別索引へ      中部地方索引へ       年次別索引へ