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8. 10. 15、10. 19  
六甲徳川道

徳川末期に、生麦事件のような異人とのトラブルを避けるために、西国街道のバイパスとして急遽作られたのが徳川道である。折角作ったのに、最初に使うべきであった備前藩士がここを歩かずに本街道を歩いて神戸事件を起こしてしまっている。その後始末に向かった備前藩士の後続部隊がこれを使ったが、すぐその後に開国になってしまい、必要性がなくなったという曰く付きの道である。

これを全部歩いてみたいと思い、六甲全山縦走マップにでている白川台から石屋川までを歩いたが、その後、実際の徳川道は明石の大蔵谷が出発点であることを知り、西半分を4日後に継ぎ足した。時間的な順序は逆になるが、西から東につなげた紀行文とする。


10. 19 大蔵谷から白川台まで


同行: 女房殿(前半だけ)

コースタイ

1018 明石大蔵谷の旧西国街道、1047 中朝霧BS、1054 明高下BS、1133-1215 神戸学院大、1230 伊川谷高前三叉路、1250 西バイパス跨線橋、1313 小束山6丁目、1320 垂水区・西区境界で山道に、1335-48 高塚山(186)、1402-05 基準点、1416 市立工高専キャンパス、1457 総合運動公園を出る、1515 神の谷小学校、1534 白川台1丁目、1541 白川台BS

4日前に歩いた徳川道が一部であることを知ったので、残りの部分を歩いた。総合運動公園の満開のコスモスと、大蔵谷の旧西国街道の町並みをあわせれば女房殿も気に入るかもしれないと思い、一緒に出かけた。西国街道の名残はほとんどなく、期待はずれに終わった。

気を取り直して、明石大蔵谷=漆山=長坂=高塚山=白川というキーワードを頼りに歩きはじめた。結果的には15 km歩いたが、徳川道の痕跡はなにもなかった(寄り道しなければ13 km程度)。当時の道は全く消滅したのであろう。住宅街を通り抜けて漆山の方に出ようとしたが、朝霧台からの幹線道路を歩くのに比べ、かなりの遠回りをしたようである。しかし、面白いのはこのような道なので、まあ後悔はない。ライトブルーと白の混じった珍しいアサガオがあった。神戸学院大のそばの焼肉屋で昼食をとる。女房殿はこんな道はとても歩き続けられないと、食事が終わると伊川谷行きのバスに乗った。

こちらは、そこから徳川道をできるだけたどってみた。長坂中の北を回り込み、神戸西バイパスを跨ぐ橋をめざす。5年前の道路地図をもっていたが、どんどんと変化しており、徳川時代との差は推して知るべしである。団地造成中のあたりはセイタカアワダチソウが斜面一杯に咲いており、実に見事であった。これが、ニッコウキスゲとかコバイケイソウであれば、名所になるのであろうが、どうも嫌われているようで可哀想だ。



セイタカアワダチソウの群落


回りまわって小束山6丁目の交差点に出てしまう。そこから少し北上したところを右折すれば高塚山への手がかりがあるかと思ったが、そこも封鎖されている。さらに登って垂水区と西区の境界のところで、右に入る細い道があった。これは山道であろうとそちらに進む。所々に丸太風のコンクリートの階段などもあるが、草に覆われ、蜘蛛の巣の多い道である。やがて下り気味になったので、これはまずいと念のため少し戻ってみると、高みに登っていくかぼそい道があった。なんとなく道が続いているが、頂上らしき高みが右手に見えるので、藪をこいで登ってみると、案の定やがて頂上の一角である碑が建っている所に出た。すぐそばに神社があり、そこが高塚山の頂上らしい。

北東方向に下りたいので、少し探ってみたが、やはり造成中の崖の上に出て、道はかき消されている。そのまま藪こぎをするのもすこし大変そうなので、もときた道らしき所に戻って、その先へ進んでみる。なんとか足跡はあるが、やはり沢山の人があるいている様子はない。まったく道が見えないようなところもある。やっと見晴らしの効くところにでた。神戸淡路鳴門自動車道の高塚山トンネル出口が真下に見えている。ここからは全く道がなくなるが、終点が見えているので気楽である。トンネルの上も道路公団の支配下にあるようで、2個所の鉄線をクリヤーさせられる。そこでやっと市立工高専キャンパスの気持ちのよい芝生に到達する。

そこから、進行方向に見えているスカイマークスタジアムを目指す。総合公園に入り、少し遠回りをしてコスモスの丘に行く。わざわざ行くほどのことはなかったかもしれないが、多くの家族連れが楽しんでいるのを見るのは悪くない。公園の中もはじめて歩いたが、気持ちよい所である。そのまま神の谷、北落合、白川台という落ち着いた雰囲気の住宅街を通り抜けて、先日スタートした白川台のバス停にたどり着く。昼食後の3時間半を休まずに歩き続けたのと、藪こぎがあったので、少し疲れた。いずれにしても、この部分は、徳川道を歩くという気分はないし、ハイキング道の要素も少ないので、だれもホームページに記録を載せていないのが理解できる。唯一、高塚山でミニハイクができたが、大変なばかりで面白さの少ない道だった。


10. 15 白川台から石屋川まで

 

同行: S氏


コースタイ

804 白川台BS816 大歳神社、824 阪神高速神戸山手線、852 阪神高速北神戸線、943 星和台団地、1008 花と緑の町推進センター、1025 鈴蘭台西口駅、1035-55 北区役所前、1137 小部峠交差点、1157 五辻、1213-43 森林植物園長谷池、1304 森林植物園東門、1332 桜谷分岐、1405 穂高湖、1417-30 杣谷峠、1523 長峰台車道、1559 八幡神社鳥居、1630石屋川駅

実際には、こちらを先に歩いている。マピオンのキョリ測で概算すると 25 kmとなった。全山縦走マップを見ていると、町の中の道が複雑そうなので、15000分の1の道路地図も一緒に持って行く。白川台BSでバスを降りて、少し東に歩いて白川BSの先で左折するつもりだったが、白川BSはなくなっていた。左折できそうな道を覗いていると、「太陽と緑の道」という標識があった。このような所で、スタートを間違うと困るので、安心した。小川を渡ると大歳神社があり、立派なクスノキが植わっている。色づいた柿、立派なカヤの木、セイタカアワダチソウやフサフジウツギの花、深い竹林があったりして、名にふさわしい気持ちのよい道となる。高速北神戸線を越え、しあわせの村を通りすぎる。15000の地図を見ていると、そのあたりから、やたらと道が入り組んでおり、どれを歩くのかなと心配だった。しかし、現実にはなんの問題もない一本道だった。入り組んでいるのは、これから作る予定の国営明石海峡公園のための歩道で、現在は立ち入り禁止になっており、迷う余地はない。一ヶ所だけ遠くの山の一部が見えたが、ほとんどは眺望のない道であった。言い換えると、日差しも受けず、気分良く歩くことができたことになる。

星和台団地になってからはそうはいかない。それほど暑いというわけでもないが、日差しをまともに受けながら歩く。星和台3丁目の所で、地図の道が変な具合に遠回りするので、おかしいなと気づいていたのだが、つい直進してしまった。直進の最短距離の道は幹線道路の上を渡る橋になっていた。徳川時代にそのような橋がなかったためと得心した。どこかでコーヒーでも飲もうかと言っていたのだが、なかなか見つからず、北区役所のそばでやっとコーヒー休憩とした。

その後、観音寺の横を通り抜けるようなコースが縦走地図に書いてあったが、見つからなかった。多分、危険なので入るなと書いてあったところがもとの登山道なのであろう。神戸弘陵学園のそばの道も分からず、結局は幹線道路を歩き、二軒茶屋交差点、小部峠交差点を経由する安全策をとった。森林植物園までくると、車ともお別れである。うかつなことに、植物園は閉園日であった。徳川道は中を通り抜けるので、困ったなと思ったが、とくに厳重に拒絶されている雰囲気でもなかったので、中に入らせてもらった。長谷池の手前のベンチで、何とも言えず気持ちのよい昼食となった。これまでも、比較的静かなときに来ていたのだが、これほど静かなのはもちろん始めてである。

このあとは、すべて一度歩いたことのある道をたどるだけである。今回は徳川道の痕跡に注意を払いながらあるいた。石畳や石垣がそうかなと思いながら見ていたが、それらは全部新しいもののようである。桜谷分岐のあと10分ほどの所に石組みがあり、ちゃんとした説明があった。そこだけが唯一の名残なのかもしれない。新穂高への登り口を見送りながら、穂高湖につくと、子供たち数十人のグループがカヌーに乗って楽しんでいた。こちらまで楽しくなる。杣谷峠で最後の休憩をとる。10分休むと、Tシャツ一枚では寒くなってきたので、立ち上がる。1時間足らずで長峰台に下り立ち、そこから1時間ちょっとでゴールの石屋川駅についた。要所要所に徳川道の解説が書いてあったが、ゴールの所には西国街道の説明だけで、徳川道についてのものはなかった。不思議に思ったが、あとで調べると、川の左岸にあったらしい。いつものようにビールを飲んで終わりとする。




石積み(高さ 1.2m、長さ 45mの一部)


穂高湖



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