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2008. 02. 15 - 16
 剣山


女房殿が東京へ行っている3日間に、かねてより気になっていた剣山から三嶺へ行くことにする。剣神社に一泊だけ予約し、あとは白髭避難小屋に泊まり、久保へ下る夏の縦走とほぼ同じ計画をたてた。

同行: 単独


2008. 02. 15 葛籠から貞光川上流まで

コースタイ

1103 貞光駅発、1206 剣橋BS発、 1240-55 葛籠お堂、1430-52 第1の沢徒渉、1525 廃屋通過、1540-47 休憩(1223b地点)、1600-04 第2の沢、1620 1270bm地点、1653 廃屋

剣橋へのバスは珍しく生活バスで、いつもと違い乗客は一人ではなかった。剣橋で下り、葛籠お堂へと少し凍っている車道を登っていく。渡らねばならない橋を通り過ぎたのが最初のウロウロ。1分ほど歩いてから、やはりこの橋以外にはあり得ないと気付いてもどり、丁寧に立て札を見ると、かすれた字で「??お?」へ約10分とある。雪に刻まれた足跡は橋の中央までで、すぐに雪道となる。こんなに早くから新雪を踏んでいくとは予想もしていなかった。葛籠お堂についたあと、登山口がわからず、二度目のウロウロ。左手に行ってしまったおかげで、雪が舞う葛籠の大ヒノキを見ることができた。

もとに戻って、お堂の右手の方に進むと標識があった。入っていくと民家の人がいて、「最近の雪で、これまで何人も途中で引き返してきたよ」と教えてくれる。民家を通り過ぎると深い雪である。人が通った窪みはなんとか見分けられたが、すぐにワカンをつける。夫婦池まで10000歩で、500、1000歩毎に印があると予告があったが、実際にはそれらは全く見なかった。雪の下にあったのだろう。しかし、とくに問題もなく、気分よく進む。3つあった沢のうち、初めの沢で20分以上ウロウロした。これは、ベタベタと貼ってあったピンクのテープに惑わされたためである。正しい徒渉個所よりかなり下なのに、あたかもここが徒渉個所ですよという風情で貼られていたので、そこで沢を渉り、それらしい所を何ヶ所も上下する羽目になった。迷惑なテープだ。諦めて元に戻り、上に少し進むとルートらしいかすかな雪のへこみが目に入ったので、なんとか復帰できた。やがて正しい徒渉地点になり、テープもかかっている。まだ水を持っていなかったので、1Lだけペットボトルに入れておく。

30分ほど歩くと、思いもかけず左手に廃屋が建っていた。なんとなく前途に多少の不安も生じていたので、これで生命線が伸びたなと喜んだ。万一、引き返すことになっても、葛籠お堂まで戻らなくてもすむというわけである。しかし、実際にはそのようなことが起こると、本気で考えていたわけではない。第1の沢から1時間以上歩いて第2の沢に着く。ここではもう水を手に入れることはできない。わたってから、コースを見つけるのにまた多少のロスがあった。しばらく進んだが、このままでは、剣神社はおろか、夫婦池にも着かないのではないかと思うようになった。道がはっきりしていてラッセルが大したことなくてもまだ1時間以上かかる。万一、着かないとすると、廃屋まで引き返すのさえ、難しくなると考え、早めに退却を決める。1270b付近だったと思う。

翌日の状況から見て、この判断は全く正しかった。下りは早いが、毛糸の手袋が濡れて、指先の感覚がなくなってきた。17時前に廃屋につき、寝床と食事の場所を決める。幸い、押入だった所に藁が敷いてあり、少し狭いが快適そうなので、寝床をそこに決め、吹きさらしになるのを避けるため、廃屋で得られる最も大きい板を風よけに立てかける。半畳にもならないくらいの大きさの板ではあるが、気休めにはなる。水が十分にないので、飯を炊くのはあきらめ、具だくさんのインスタントラーメンとする。食事後は、いつものように早速シュラフに入る。-4℃程度であるが、寒くはない。首を出していると、風に飛ばされた雪片が舞い込んできて顔にかかる。明日の朝にはシュラフに雪が積もっているのかなと考えているうちに寝てしまう。夜中に2度ほど目が覚めた程度でよく眠れた。多分、藁が効いていたのであろう。




一夜を過ごした廃屋


2008. 02. 16 貞光川上流から葛籠まで

コースタイ

0640 廃屋出発、0719 前日の退却点、 0730-0800 第3の沢、0835 1310b地点、0840 第3の沢、0850 第2の沢、0904-19 廃屋、0935-43 第1の沢、1045-1125 葛籠お堂、1155 剣橋BS

自然に目が覚めたのは4時半だった。ちょうどよい頃合いだったので起床とする。-10℃まで下がっていた。ペットボトルは寝床に持ち込んでいたが、ガスボンベには気を配らなかったので、火がつかない。使い終わったカイロを貼り付けるとなんとかなった。朝も飯を炊かないので、お気に入りの餅入りスープですませる。念のために、少しだけ雪を融かして水を増やしておく。明るくなってきた6:40に出発する。前日の手先の冷たさに懲りたので、ゴアの手袋の上からオーバーミトンを久しぶりに着ける。それでもかなりの間、手先に血が回らなかった。やはり毛糸でないと駄目なのかもしれない。

前日に引き返したところからほどなくして最後の沢に出会う。数日前のへこみはここまでだった。下に赤テープが見えて、そこで沢を渡ることは間違いないが、かなりの下になるので、どうしてそこまで行けばよいかが全く分からない。眺めすかしつしていたが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。前の人がここで引き返したのかと納得する。途中まで下りて様子を見るが、危なそうなので、また上の道に引き返す。そのとき、トラロープがわずかに顔を覗かせているのが見えた。やはり、ここを下がって行くらしい。少しロープを堀出して、方向を見極める努力をするが、最後まで掘り出せない。ただ、方向としてはまちがっていないようなので、急斜面をトラバースした。なんとかそこをクリヤーすると、またトラロープが少し出ていたので、ますます確信を強めた。そうなると、あとは気分が楽になる。比較的容易に赤テープにたどり着いた。前日の第1の沢と同様に30分も使った。前日はウロウロしていたのだが、ここではじっと立ち止まり、あちこちを見回して時間が過ぎたことになる。

対岸にも一応テープがあった。しかし、そのあとは全くなにもない。山腹をトラバースしていくように地形図は教えており、方角も間違いないのであるが、なにしろこちらにはここを歩いた経験がないという弱みがある。登山道の上を歩いていないので、雪がドンドン深くなり、腰までもぐることも頻繁になってきた。かなりの急斜面であり、いつ足を滑らせてもおかしくない。ここで滑り落ちても命とりにはならないだろうとは思ったが、それも雪崩を誘発しないとしての話である。降ってくる雪も増えてきたので、沢を越えて30分した所で、撤退することにする。30分歩いたといっても、距離にするとほんのわずかである。標高1310b程度であろうか。夫婦池まであと600bほどの地点だった。時間はまだまだ早いので、後ろ髪を引かれる思いであった。




退却地点



戻りながら、もう少し登ってみようかと何度か考えた。とくに、廃屋くらいまで下がったところで、朝日が射し初め、これなら行けるのではという気になったが、実際には雪が降っていたから諦めたのではなく、ラッセルがひどいためだったと、自分に言い聞かせる。最初の沢を通り過ぎて、しばらくすると暖かくなりTシャツ一枚になる。かなり下りてから、なんということのないところで、左太ももでブチッと音がして痛みが走った。筋肉が切れたような感じである。しかし、歩くのにはそれほど差し支えないので、軽傷だったのであろう(その後数日間、ジョギングはできなかった)。

葛籠の集落まで下りると前日に出会った村人が外に出ていて、やはり駄目だったかと話しかけてきた。葛籠お堂に戻ると、横にある小さなお堂でお参りをしている老女がいた。小さな空海の像があり、それを毎日拝みにきているという。上の方に見える大きな家にひとりで住んでおり、20-30分かけて下りて来るという。86歳にしては元気な人である。「お山はきれいでしたろう?」と言われ、「そうだったろうな」とはじめて残念な気持ちになった。雪が降っていたので、そんなことを考えもしなかった。考えていたら、もう少し粘ったかもしれない。途中で見かけたお墓の名前がすべて葛籠氏だったので、そのことを言うと、村の名前と家の名字は同じであり、この辺は平が着く地名が多いといくつかあげてくれたがとても覚えられない。帰ってから地図で見ると、たしかに、平、平井、実平、田平、樫平、竹平、半平、宮平等々といとまがない。「おばあさんも平家の末裔?」と聞くと、「そうではない」と意外にはっきりと否定していた。時間も腹具合もちょうどよかったので、余しても困るものを使って昼食とする。さきほどの沢で一合だけ米をといでおいたので、すぐに炊きはじめる。国道に出るとほとんど凍結もなかったので、余裕をもってバス停に着くことができた。

帰宅後に雪崩の本を読んでいて、この山域でも大きな雪崩が起きることがあることを知った。




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