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2008. 2. 8
 茅ヶ岳、金ヶ岳

 

東京での仕事のあと、茅野に夜遅く到着する予定にしていた。1日間違えており、仕事は前の日に終わってしまっていた。半日の空白ができてしまったので、急遽、午後から大月の岩殿山、塩山の塩の山を歩くプランを作った。夜は予定通り茅野で泊まる。

同行: 単独


コースタイム

809 穂坂BS、857-907 深田公園、1012-1026 女岩、1108 稜線、1139-1205 茅ヶ岳(1704)、1308 南峰、1323-1338 金ヶ岳(1764)、1510-1515 林道、1640-1655 明野支所前BS、1751 穴山駅

前日のは予定外の行動で、この日は予定通り。天気は下り坂という予報であったが、この日も快晴に近い。韮崎でバスに乗る前の時間を利用して、窟観音に行くが、そこから頭だけとは言え、甲斐駒ヶ岳の雪に覆われた鋭いピーク、鳳凰三山も一部が見えて感激する。駅前では八ヶ岳が真っ白に見え、その左に、金ヶ岳と茅ヶ岳が3つの峰のようにして寄り添っている。八ヶ岳に比べると黒々しているが、歩けば結構の雪がありそうではあった。

バスの相客はおばさん一人だけで、その人もすぐに下りてしまった。どこへ行っても同じで、そのうち次々と公共の乗り物がなくなっていくのではと心配になる。ここも、タクシーで登山口まで登るのが一般的になっているようであるが、歩きに来たのであるから、できるだけ歩くやり方を通す。バスを降りてから登山口まではもう少し展望があるのかと期待していたが、駅前の方がはるかによかった。だらだらとした登り道でだんだん暖かくなり、途中でフリースを脱ぐ。バブルのときに別荘地としたが、あまり成功しなかったような雰囲気の所が続く。

深田公園にきて、はじめて茅ヶ岳を正面にみることができた。深田さんには、生前大変お世話になったのに、これまでここに来なかった失礼をわびながら、碑に書かれた「百の頂に百の喜びあり」をいかにも深田さんらしいなと思いながら読む。碑文、碑に映った茅ヶ岳、カメラを構えた自分の影を入れて記念撮影をする。気持ちのよいところにこのような記念公園を作ってもらって、幸せな人だなと嬉しくなる。





深田公園から茅ヶ岳


このあとは雪道になるが、足跡がついているし、雪もベタベタしていないので、ワカンを取り出すまでもない。車の轍が林道と交差するところまで続いていた。そのあとは、雑木林の沢沿い道をゆっくりと高度を上げていく。女岩が正面をふさぐように立っていて、その前に水がチョロチョロと流れている。折角なので、それを飲み、簡単な食事をする。

そのあと、右手の急坂を登り、女岩の上に出る。ここのところで少しだけ氷が着いていたので、念のためポールを2本にする。かなり広々としているが、やはり沢を詰めている道である。燦々と日が差しており、春山の気分である。稜線に飛び出した所が、敷島への分岐点である。金峰山が目の前にあり、後方には雲を頭の上に乗せた富士山が聳えている。そこから頂上までは30分であったが、途中にあるはずの深田氏終焉の記念碑には気づかないまま通り過ぎてしまった。唯一考えられるのは、一瞬左手に富士から天子山塊の遮るもののない眺望が開けたので、そちらに目が釘付けになった地点であろうか。頂上に着く寸前に夫婦連れとすれ違った。今日初めての人達である。

頂上は誰もいない。さて待望の360°の大展望である。北に金ヶ岳があるので妙高方面は見えないが、四阿山、浅間山、瑞牆山、小川山、金峰山、北奥千丈岳、小楢山、大菩薩嶺、黒岳、滝子山、少し霞んで檜洞丸、帯那山、御正体山、本社ヶ丸、三ッ峠山、御坂黒岳、富士山、竜ヶ岳、天子山塊の毛無山など、安倍奥東山嶺の十枚山など、七面山、山伏、笊ヶ岳を経て南アとなる。辻山、薬師岳、観音岳、地蔵岳、アサヨ峰、甲斐駒ヶ岳、鋸岳は問題ないが、3000級となると絶えず雲だか雪煙だかが舞っており、絶えず見えているという状況ではない。しかし、上河内岳、聖岳、赤石岳、悪沢岳、西農鳥岳、間ノ岳、北岳、仙丈ヶ岳が見えていたことは間違いない。鋸岳の右は知らない山ばかりで、北アも見えない。あとは八ヶ岳である。編笠山、権現岳はしっかりと見えているが、先ほどまで問題なかった阿弥陀岳、赤岳がかすみ始めており、横岳は雲の中になってしまっている。それにしても豪勢なものである。十分展望を堪能したのち、食事を少しだけとる。風もそれほどきつくないので、シャツ2枚で十分である。




茅ヶ岳から八ヶ岳を背景に金ヶ岳



茅ヶ岳から南アルプス


同じコースから3人目の人が登ってきた。ここから元に戻るとのこと。金ヶ岳の方をのぞき込むと、全然トレースがない。一瞬躊躇したが、コルまででも行ってみようと、フワフワの雪に飛び込むような感じで下りる。降りる方向、登る方向は明瞭なので、あまり不安はない。コルまで下りたかと思ったが、ニセピークならぬニセコルであった。まだ本当のコルは下にある。あまり深入りする前に引き返してもよいかなとチラリと思った。のぞき込むと大した高度差ではないので前へ進むことにする。とにかくこの北面の下りが凍っていたら嫌だなと思っていたが、誰も歩いていないフカフカの雪なので、滑落などの心配が全くなかった。岩がゴツゴツしていそうな登りに見えたが、なんの問題もなく金ヶ岳頂上に達した。100m下って、160m登り返したという計算になる。茅ヶ岳より60m高いのであるが、町から遠いため知名度は圧倒的に低いので気の毒である。富士山と南アの方角が開けているが、すでに南アは雲の中に入っている。明野の方から登っている人がいるかなと考えていたが、前後左右あるのはウサギの足跡だけである。予想外に時間をくっているので、バスに間に合いそうにない。急ぐ身でもないので、バスのことは考えないで下りることにする。

少し迷ったが、頂上からワカンをつけて降りる。やはり失敗だった。岩の出ているところが多く、かえって邪魔になる。2-3分下りたところで、ワカンをはずす。あとは延々と尾根伝いに下る。比較的尾根は狭いし、それとはなしに浅く窪んだ道らしきところもあるので、ほとんど考えることもなく下りていく。動物の足跡が、往々にして登山道に沿っているので、それもある程度は目安になる。林道を横切ったあとの舗装道路にも人が通った形跡はない。しかし、その道はすぐに終わり、雪のない東光の舗装道路に出る。下の国道まで4 kmほどの舗装道路を一直線に歩くことになる。

しかし、この道はよかった。正面に鳳凰三山、甲斐駒が本当に高い位置に聳えており、右手は八ヶ岳、左手後方には富士山、真うしろには金ヶ岳と茅ヶ岳とすばらしい景観である。舗装道路をこれだけ楽しみながら歩いたという記憶はない。この頃には、甲斐駒や八ヶ岳の雲も少なくなって来ている。太陽の高さに応じて、山の姿も刻々と変わるので飽きない。やがて、太陽が南アの影に隠れる。展望のない道を少し歩くとバス道にでる。最初のバス停の時刻表を見るとやはり20分ほど前に通過しており、それ以後は全くない。

明野支所前というベンチのあるバス停で荷物を整理し、意を決して、穴山駅への道へ踏み出す。このようなこともあろうかと情報地図をコピーしておいたのがよかった。高速道路付近や塩川を渡るところでも、アーベントロートに染まった八ヶ岳や富士山を見て喜んでいたが、そのあとで山越えをすることまでは気が付かなかった。暗くなった峠を越えたあとの下りは、それほどの高度差でなかったので、駅はすぐであった。韮崎のロッカーまで荷物を取りに戻ったので、帰宅したのは24時を過ぎてしまった。全部で21 km ほど歩いたことになる。



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