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07. 11. 23 
御破裂山

興福寺の秘仏(大圓堂聖観音菩薩立像)公開に合わせて、談山(タンザン)神社の紅葉を見に行く計画をたてた。興福寺にはさすがに超一流のものが揃っており、久しぶりに堪能した。紅葉がよいというので春日神社にも行ったが、ほとんどなかった。JRで桜井までくると、談山神社への道は大渋滞のためバスで1時間半くらいかかるという。聖林寺にしようか、明日香にしようかなどとかなり迷ったが、多武峰のBSで下車すれば、1時間はかからないというので、予定通り行くことにした。なんとか2時すぎに神社に着くことができた。


同行: 女房殿


コースタイ

1442 談山神社、1452 談山(カタライヤマ;566)、1500-1503 御破裂山(608)、1515 談山神社、1635 石舞台古墳

紅葉もなかなかよかったし、大化の改新にまつわる歴史も興味深かった。中大兄皇子と鎌足が談合を行った談山と鎌足の墓のあるという御破裂山に誘うと、Yも行くと言う。しかし、少し登ったところで、断念して下ってしまう。大急ぎで談山と御破裂山を往復する。御破裂山の上からは、北の方向に、遠くの二上山(3つのコブとなって見える)と近くの大和三山が形よく並んでいる。なかなかの眺めである。

神社に戻って、Yと合流する。Yはバスで帰るというが、「また渋滞で、寒いバス停で長時間待たされるかもしれないよ」と説得して、明日香村まで歩くことにする。神社から少しだけ登ると、もうあとは下り一方である。前方には、金剛山と葛城山が大きく並んでいる。多武峰からかなり下まで立派な道ができており、しばらくすると明日香からも道が通じるようになるのであろう。渋滞もなくなり、山道を歩く人もなくなるのかもしれない。一年で1-2週間渋滞する程度なら我慢すればよいと思うのだが。

山道が終わった辺りに気都和既神社という変わった名前の神社があり、付近を「もうこの森」とよぶという。入鹿の首に追っかけられた鎌足がここまで逃げてきて、「もう来ぬだろう」といって休んだことに由来しているという。途中で農作業していたおばさんに声をかけて、堀たての小芋を譲ってもらう。1時間少しで石舞台に到着した。まわりが整備され、入場料を取るようになっていた。満月が舞台のうしろから登りはじめ、長い一日の静かな幕切れとなった。




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