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2007. 10. 21-23
  南駒ヶ岳・空木岳・檜尾岳


快晴が数日間期待できるというので、定年後のメリットを最大限活用して中アを計画する。もちろん4月の失敗の原因を探るためもある。中央線からは、これまでにない最高の展望が得られた。御岳、中ア、北アはすべて雪化粧しており、期待が膨らむ。10/19の午後から10/20の未明にかけて降ったという。

同行: 単独

2007.10.21 池山

コースタイ

1315 駒ヶ池BS、1418 三本木地蔵、1430-1438 林道終点、1504-1509 鷹打場、1546-1558 池山(1774)、1616 池山小屋

駒ヶ根駅で下車したあと、買物をし、前回来たときに食べそこなった喜野屋のそばを食べる。すずやかな味で美味。バスに少し時間があったので、商工会館の周りからの展望を楽しむ。4月と同じバスで山に向かう。前回の駒ヶ池では、サクラが咲いていたが、今回は紅葉である。

天気もよく、知った道なので、気が楽である。1時間ちょっとで着いた駐車場からは、南アルプスがきれいに見える。日曜日のせいか、かなりの数の車が止まっている。空木岳をピストンする人が多いのであろう。登山者カードの紙がなかったので、他人の紙に便乗して、書かせてもらう。

前回は通り過ぎた鷹打場に寄っていく。単に鷹打場というのではなく、仙丈から聖までの展望台であり、立ち寄る値打ちがあった。そこから道が分かれるが、天気がよいので、展望が期待される池山への道を選ぶ。前回に、深い笹藪で道を見失ったところも見ておきたかった。しかし、今回はきれいに刈はらいされており、雲泥の差であった。小屋のノートを繰ると、春に泊まった次の日に刈られたと書いてあった。

池山山頂からは、中ア側は熊沢岳から伊那前岳まで、南ア側は甲斐駒から赤石がきれいに見える。小屋の扉や窓は開いており、やはり前回は供用がはじまっていなかったらしい。もちろんきれいな水もふんだんに出ている。宿泊は今回も一人だった。駒ヶ根で夕食を仕入れてきたのを忘れて、水場で米を洗ってしまった。炊いてしまって次の日の朝食用とする。朝食には少し多いので、昼食用のおにぎりも作っておく。暗くなると、駒ヶ根や千畳敷の灯りが見える。半月が出ているが、それが傾いたあとは、目の前のオリオンをはじめとする満天の星で、翌日の好天が期待される。





池山頂上からの展望
左から島田娘、サギタルの頭、宝剣岳。正面の大きな山塊が伊那前岳。





2007.10.22 空木岳、南駒ヶ岳

コースタイ

524 池山小屋、558 尻無(1970)、607 マセナギ、640 小ピーク、633-643 この先危険の看板、713-716 小コル、734 迷尾根、834 空木避難小屋への分岐、841-848 写真休憩、914 駒石、958-1046 駒峰ヒュッテ、1055-1113 空木岳(2864)、1219-1233 赤椰岳(2798)、1240 摺鉢窪避難小屋分岐、1315-1330 南駒ヶ岳(2841)、1410 赤椰岳、1515-1520 展望休憩、1538-1545 空木岳、1555 駒峰ヒュッテ

目覚ましがなかったが、4時10分に目が覚める。昨夜のご飯があまりに堅かったので、色々なものを放り込んでおじやにすると、おいしくなった。少し暗いが、ヘッドランプをほとんど使わずに歩き始めた。0610に、白根三山の辺りから陽が上った。前回の帰りに見つけた、マセナギの上の大展望台から見たかったが、間に合わなかった。そして、注意していたにもかかわらず、その展望台自体を見つけることができず、狐につままれたようだった。雪がないので道は捗る。

春には、小屋から小コルまで3時間かかったのに、今回は1時間50分である。小コルから、左手にはっきりしなかったが足跡が少しあり、前回はそちらに向かった。その後、雪が詰まった3本の急峻なルンゼに出て苦労し、1時間ほどウロウロしたあげく、引き返したのだった。コルへと登ってきた行き先は、雪がびっしりと詰まっており、登山道などはなく、そのまま谷へ下るものと信じ切っていたのが間違いだった。今回来てみると、なんと左手の迷い込んだ方には立ち入らないようにロープが張られており、下っていく正面が登山道となっており、「空木岳へ」という標識まで立っていた。このような間違いをしていたとは思いもよらなかった。宝剣や南アがたえず見えていたので、方向を間違うことはないと盲信し、磁石もあまり見なかったように思う。迷尾根の寸前なので、ルンゼのさらに左手にルートがあるのではと、探していたくらいである。とにかく強行突破しなくてよかったと胸をなで下ろすとともに、無雪期を知らないで、誰も歩いていない雪道を歩くことが、いかに危険であるかを再認識した。

そこから20分ほどすると迷尾根となる。やがて、この日始めて見る2人連れ登山者が下りてきた。駒峰ヒュッテのことを聞くと、閉まっているし、水もないと言われた。池山小屋で1.5L 汲んできたので、何とかなるだろうと思ったが、翌日の下山まで水は得られないので少し心配になる。やがて、尾根に出て、風も強まり少し寒くなる。そして積雪をはじめて目にする。空木避難小屋への分岐に来ると、日が照っていた。

そのあと、好展望地があり、目の前にはじめて空木岳があらわれる。そこから右へ首を振ると、熊沢、大滝、檜尾、島田娘、木曽駒が少し、宝剣、伊那前岳。さらに、四阿、浅間、八ヶ岳、奥秩父、鋸、甲斐駒、仙丈、白根三山、塩見、荒川、赤石、聖、上河内、光、池口、不動などと続く。少し前に見えていた妙高は陰になって見えなくなった。池口の右手もかなり明瞭に多くの峰が見えているので、同定の楽しみが残る。富士山がごく僅かだけ、塩見の左手に顔を出しかけていた。しばらくすると、すぐに富士山は塩見と肩を並べるようになり、木曾駒や木曾前岳も見え始める。見上げるような駒石を通り過ぎ、登るにつれて、稜線の向こうの山々が次々と見え始める。駒石から15分で、2703m峰のうしろに御岳と白山、20分で三ノ沢岳の右手に乗鞍、40分で木曽駒の右に穂高となり、やがて駒峰ヒュッテとなる。






駒石から鋸岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳




ヒュッテの様子を調べると、部屋には入れないし、水も手に入らないことがわかる。土間には2人分くらいのスペースがあるので、そこに寝ることにする。空木避難小屋まで下りて、また明朝登るよりはましであろう。ストーブを出して、しっかりと昼食をとった後、まだ11時前なので、軽装になり南駒を目指す。

空木岳への上りは少し雪が堅く、アイゼンがあるといいなと感じた。全行程中、こういう個所がいくつかあったが、結果論としては、やはり持ってこなくてよかった。さていよいよ空木である。完璧な青空のもと、あくまで空気は澄んでいる。好天を狙って来た甲斐があったというものである。三ノ沢、木曽駒、伊那前岳、南駒がいくらかの視野の妨げとなっているものの、それ以外は360°の展望である。これまでは宝剣岳が目立っていたが、ここからは木曽駒が盟主であることを認めざるを得ない。これまで、指摘したもの以外に、笠ヶ岳、槍ヶ岳、両神山、仙涯嶺、南駒ヶ岳、恵那山などが付け加わる。距離を計ってみると、中ノ尾根山51 km、槍ヶ岳72 km、富士山92 km、両神山98 km、白山106 km、妙高山133 kmとなり、妙高が一番遠かった。

南駒への道は、北斜面となるので若干厄介になる。プレートがはめ込まれている赤椰岳で少し休んだ。寒くなってきたので、ウィンドブレーカー、帽子、手袋をつけ、行動食をとった。この休憩を含めて、丁度コースタイムの2時間で南駒に着いた。荷物がないので早くなった分と、一歩一歩に神経を使うので遅くなった分が、丁度バランスした感じである。頂上には、倉本から上がってきて、摺鉢窪避難小屋に泊まるという先客がいた。

「嫌な上りだったので、下りたくない」と思っていたほどだったが、実際に下りはじめると、どうということない。やはり下りは楽である。上にいたハイカーも同時に出発した。重い荷物のためか、うんと遅れてしまったが、安全に下りたようだった。「百名山パノラマ案内」をコピーして持っていったが、南木曾岳の右手に見え続けている顕著な三角形に関する記述がなかったので、気になった。南木曾岳の並びの伊勢山(1373)の先に見える笠置山(1128)らしい。

空木岳に戻ると、空木避難小屋に泊まるという若者が景色に見入っていた。すぐに下りはじめ、ヒュッテには16時前に帰着できた。小屋の温度計は7℃と、午後より少し上昇していた。17時に食事を始め、18時にはすべてを終えることができた。外は、風は少しある程度で、雲も少し出てきた。一応、夕焼けもしており、月も出ている。下界の灯もきれいに見える。19時には寝る。






空木岳から南駒ヶ岳




2007.10.23 空木岳、東川岳、熊沢岳、大滝山、檜尾岳

コースタイ

545 駒峰ヒュッテ、556-558 空木岳、714-723 木曾殿越、752-755 東川岳(2671)、831-835 2703m峰、931-1008 熊沢岳(2778)、1111-1117 大滝山(2718)、1148-1153 檜尾岳(2728)、1203-1205 檜尾避難小屋、1209 水場降り口、1215 小檜尾岳(2670)、1311 梯子ダルの鞍部(2435)、1317-1334 軽食、1429-1436 赤沢の頭(1992)、1605 登山口、1612 檜尾橋BS

何度目かの目覚めとなった4:40にシュラフから出る。温度計は0℃と暖かい。星は少なく、雲がかなりある。降雨もあり得るかと思ったが、周りの山は一応全部見えている。日の出を空木の山頂で見たいと思っていた。この朝は、Tシャツ、長袖シャツの上からフリースを着て、帽子、手袋付きで出発する。空木への登りは昨日よりは楽な感じで登れた。時間的には日の出にピッタリであったが、この雲では日の出は無理のようである。それでも南アは朝焼けの空をバックにすべて見えている。

木曾殿越までの下りをゆっくり行こうと、早々に頂上を去る。下り始めて30分で岩場が終わる。北斜面であり、雪は結構多かったのであるが、岩場にはほとんど雪がなかったので楽だった。青空が2割程度と少ないものの、やはり明るくなると、出発の時の重苦しい雰囲気とはかなり違ってくる。やがて正面に御岳などが見え始める。木曾殿山荘のあるコルまでは、1時間のコースタイムであるが、1時間15分で下った。雪があったので、まあまあだろう。

ここは、親切で評判の小屋で、冬場は物置を開放してくれている。物置小屋としては立派なもので、義仲の力水も近くにあるし、日程次第では使いたくなるところである。風も弱くなったので、フリースを脱いで、東川岳の登りにかかる。この日唯一の手応えある登りである。そして、ここで始めて、ハイマツの間に色々な植物が目に付くようになった。といってもほとんどは枯草で、白い小さな花がわずかに残っている程度だ。他の花があればとても目に付かないような花で、葉は細く短い。名前はわからない。シャクナゲも多い。コケモモ、ナナカマドにすこしだけ実が残っていたが、ガンコウランには実はなかった。リンドウ、コイワカガミの枯葉もあった。少し薄日も射してきた。今日一日の天気もほぼ保証された。しかし、恵那山や御嶽山がかすみ始める。

東川岳を過ぎて、P2703 の手前で、はじめての登山者にであった。檜尾小屋からの3人組である。どこが熊沢岳の最高点かが見極められないまま、先に進んだ。熊沢岳(2778m)という標識があったが、その南にあった巻いたピークの方がおそらく高い。大きな岩の陰に行って、風をよけながら腰を落ち着ける。GPSでは2771mとなっている。それほどの精度はないが、最高点から少し低いというのが正しいだろう。玉子スープに餅とコンビーフを入れて、昼食をとる。八ヶ岳が見えなくなった。空木岳でほぼ重なっていた富士山と塩見岳がはっきりと分離している。






熊沢岳から富士、塩見、荒川、赤石




熊沢の後、高年の単独行の人とすれ違う。これが、この日の4人目にして最後の人であった。駒峰に泊まって、翌日に南駒まで足を延ばしたいといっていたので、様子を教える。大滝山は、多くの人が巻いてしまうらしく、頂上からの下りがすこし分かりにくかった。数分ウロウロして、道が右側にあることが分かった。そこからは半時間で檜尾岳となる。木曽駒がうんと近くなり、空木とほぼ同じくらいの距離となる。三ノ沢岳がとりわけ大きい。南アもまだ見えている。最後の眺望を楽しんだ後、Tシャツ1枚になって、下山を始める。

檜尾小屋を覗くと、畳が敷いてあり、シュラフ、マット、スリッパまである立派なものであった。この時期でも水場には水があるらしいので、次の機会に泊まりたいと思った。できれば16:24のバスに乗りたいと考えていたので、昭文社のコースタイム、他人のタイムなどを睨みながら歩く。途中で、かなり遅れているかなと思ったが、結局は十分に間に合った。しかし、かなりよい道になってからも、GPSに表示された時速は2-3 km/h程度で、どうも合点がいかなかった。登山口近くの水を1Lだけ汲んでお土産とする。ザックの整理や着替えをしながら、バスを待った。

今回は、携帯を持参しなかった。目覚ましを兼用しているのを失念していた。時間に縛られるわけではないのだが、目が覚めるたびに、ランプをつけて時計を見たくなるのが煩わしかった。GPSは最近、地形図をインプットできなくなっているが、一応持参した。必要な所だけで使ったが、これで十分役にたつ。今回のように、開けた場所では、即座に衛星をキャッチするし、要所以外でこれに気を取られることもないので、行動面での制約も少ない。デジカメの電池がなくなったときに電池を代用できるというメリットもある。






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