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2007. 09. 24  宇津峰
 



次の日の11時から、いわきで用件があるので、どこかで前泊しなければならない。宇津峰の歴史が気になっていたので、所要時間や場所が丁度よいかなと考え、郡山で泊まることにした。宇津峰には、1997年4月に女房殿と車で来て、20分で頂上に登ったとメモがあり、頂上付近で清水も見ているのだが、ほとんど記憶に残っていない。

同行:単独

コースタイ

1232 鈴ヶ内BS、1258 馬場平登山口、1335-1358 宇津峰(677)、1424-1427 雲水峰清水登山口、1520-1525 菅船神社、1540-1601 小塩江駅、1614 磐城守山駅、1632-1648 田村神社、1703 磐城守山駅

早朝に家をでて、12:00に郡山駅をでるバスに乗る。半時間乗って鈴ヶ内BSで下車すると、道ばたにシュウカイドウがずらりと並んで迎えてくれた。いくつか秋の花が咲いている田舎道をゆっくりと登っていく。イヌタデ、ハギ、アザミ、アキノキリンソウ、ツユクサ、ノコンギク、オオバコ、エノコログサ、アカツメクサ、キバナアキギリなど。先日の豪雨でなぎ倒されたのであろう、稲穂が半分近く横になっている畑もあり、痛ましい。

馬場平という登山口までくると、ヒキオコシが増える。鳥居の脇に、南北朝時代に北畠顕信らが南朝復興の悲願をかけて、北条・足利らの北朝側と最後まで戦い抜いた砦であることや、山の中の史蹟について簡単に記した説明がある。あたりは少し開けた地形になっており、キバナアキギリが群落といってよいほどに敷き詰められている。木の実が落ちていたり、キノコが生えていたり、ノブキがくっつく実を付けていたりと、もう秋の気配である。関西ではまだ毎日30°を越す暑さというのに。

ほぼ30分で頂上に達するが、その少し前で右手に下界がよく見える小ピークがあり、物見台として機能していたことが伺える。東屋のあるところが頂上であるが、しばらくウロウロしたが、石の柱はいくつかあり、どこが最高点かは分からずじまいだった。東屋の右手に千人溜という一角に、いくつかの祠がひっそりと佇んでいる。いずれの祠もこぢんまりとしたもので、とても歴史の大舞台だったとは思えない淋しい感じである。




宇津峰頂上の東屋




遺跡の数々




千人溜


下る道が2個所あったが、ちゃんとした標識もなく、持ってきた磁石をホテルにおいてきてしまったので、少し考えてしまった。福島空港らしいものが見えたので、大体の方向が分かり、頂上から右手に下るのが小塩江への道と判断できた。雲水峰清水のある登山口にはすぐに着いた。ここにあった案内板を見ていて、頂上にあるという御井戸の清水を見ないまま降りてきたことに気がついた。籠城中に頼りにした井戸なので、見逃したのは残念だった。そのあとも、とくに標識がないので、地図がなければ駅にたどり着けなかったかもしれない。途中、大きな杉のある菅船神社というのがあり、立ち寄る。田舎の道を歩きながら、住人に道を聞いたり、話をしたりしながら、小塩江駅に出る。




なぎ倒された稲穂の先に宇津峰


水郡線に乗って、宇津峰を振り返るが、なかなかうまく見えない。予定していた電車より、一台前になったので、磐城守山駅で降りて田村神社に立ち寄る。坂上田村麻呂と関係があるというが、多くの伝説の一つに過ぎないのであろう、神社の中にはそれらしき説明は全くなかった。芭蕉が立ち寄ったという方が強調されていた。奥の細道で読んだ覚えがなかったが、帰ってから調べると、たしかに寄っていた。本殿は江戸時代のもので、中にはいくつかの絵馬があるという。暗くてよく見えなかったが、写真に撮ってみると、三国志三傑図や大江山図などが意外に明瞭に写っていた。本殿の前の白いサルスベリが満開の花を付けていた。神社近くの小川の土手にアカネが一面に蔓を伸ばしていた。東側遠くに山が見えたが七ッ石山か。




田村神社のサルスベリ



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