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07. 09. 16  
安土山


猛暑が続き、吹出物が次々とでき、回転性めまいに襲われたりしたので、登山ができない状態が続いた。彦根墓参の帰りに、安土に立ち寄り、ハイキングとも言えないようなウォーキングをする。


同行: 女房殿


コースタイ

1455 大手門跡、1520-1530 安土山(199)、1550 大手門跡、1550-1606 信長の館

暑いので、タクシーを使う。春に読んでいた辻邦生の「安土往還記」にでていたセミナリオ跡に行き、少しだけ途中下車する。そのあと、待って貰っていたタクシーで大手門跡まで行き、入場料を払って歩き始める。300段ほどあるというかなり急な階段を登る。すぐに、秀吉、利家、家康の館と考えられている跡がある。かなり立派な屋敷跡である。所々にある石仏を踏みながら登るが、神仏を恐れぬ信長の傲慢さを示していて印象的。数千人の人夫が運び上げたという大きな石で作られた黒金門を通りすぎると、かなり立派な仏足石があった。これも石仏と同様、どこかにあった恐らくは大切なものを、単なる建築材料として持ってきたものらしい。さらに進むと、信長公本廟がある。静まりかえった雰囲気である。本丸跡をすぎるとすぐに天守跡となる。絢爛豪華な天守が1579年に完成し、1582年の本能寺の変の2週間後に焼失したというものである。石垣の上に登ると、琵琶湖から吹き渡る風が心地よかった。それほど広くない場所に聳えていた高さ33 mもの高層木造建造物を想像するのはなかなか難しかった。城下からもよく見えたというので、よほど突き出ていたのであろう。




天守台跡




そして、その上からは360°の光景が広がっていたのであろうことは容易に想像できた。石垣の上からは、琵琶湖とその手前の大同川の湖が見え、山では比良山地、野坂山地から荒神山が見えていた。伊吹も雲がなければ、荒神山の後に見えるはずである。三重塔、二王門の方も魅力的だったが、女房殿は近い方がよいと言うし、信長の館に行くには時間もなかったので、往路を下り、多少暑さが和らいだ道を文芸の郷を目指す。ここには、安土城天主の5、6階部分を原寸大に再現したものが置かれていた。信長の趣味とも思えない、絢爛豪華な作りだった。



荒神山と背後の伊吹山地




JRの中から、そして新快速を待った近江八幡駅から安土山と繖山の姿を目に焼き付けた。新幹線からも見える可能性は高そうである。新ハイキングに書いていた「東海道新幹線から見える山」も丁度終わったところであるが、気になっているところは限りがない。





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