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05. 12. 20  
有馬紅葉谷・西お多福山・打越峠


裏六甲の滝がしばらくの寒気で氷結しているというので、N氏と芦屋からバスで有馬に行き、ロープウェイ駅まで歩いて、その横から登りはじめた。

同行: N氏

   

コースタイ

857 有馬BS、954-1013 七曲滝、1043-1105 百間滝、似位滝、1155-1240 極楽茶屋跡、1315 西お多福山(867)、1400 本庄橋への分岐、1412 住吉道と合流、1429 打越峠への分岐、1451 打越峠、1528 保久良神社への分岐、1540-1555 P425(点名 本庄山)、1558 旗振山(405)、1634 阪急岡本駅

紅葉谷を左岸に渡り、しばらく行くと七曲滝という標識が出てくる。滝までは10分足らずである。かなり立派に凍っており、12月としては大変珍しいとの常連の話である。写真で想像していたよりスケールは小さい。そこにいた人に聞くと、上に抜けることはできないという。少し覗いてみたが、前、左、右とも登るのに問題はなさそうに見えた。今日はおとなしく引き返し、紅葉谷道をさらに10分登ると百間滝への標識が出てくる。60 mばかりの下りで滝口に出る。ここは中央氷がスッポリと落ちており、七曲滝より貧弱に見えた。そのすぐ上の似位滝は一層とりとめがない風情である。全山縦走マップでは両滝の距離はかなりあるので、本当の似位滝とは違うのかもしれない。





七曲滝




百間滝



下りでも必要なかったが、40年以上使っていない4本爪のアイゼンを上りで着けてみた。問題なく使えたし、ないよりあった方がよい。他の人はもっと新しく軽快そうなのを使っておられる。極楽茶屋跡までの道には雪がずっと着いているが、アイゼンなどは全くいらない。木漏れ日も射しているので気分も軽い。N氏と仕事の話をしながら登る。極楽茶屋跡で丁度よい昼食の時間となる。バーナーとスープの素を持って行ったので、多少豊かな気分の昼食となる。数人の中高年者が昼食をとっていたので、関西では何を食べるのかと覗いてみると、カップラーメンとテルモスのお湯という組み合わせが多かった。

まだ歩いていない道をということで、西お多福山から下りることを提案した。Nさんはうんと以前に歩いたらしいが、そのときは藪こぎで大変な思いをしたという。それではもう一度挑戦しましょうと強引に誘ったのだが、立派な道ができており、なんの問題もなかった。勾配も石切道や天狗岩南尾根より緩やかなのではないだろうか。住吉川をそのまま下るのも芸がないので、打越峠へ登り返す。

2度ほど歩いてどうしても分からなかった金鳥山を探しに保久良神社の方へ向かった。出会った人に聞くと、地図の金鳥山とは違ってもっと上に三角点があると連れて行ってくれた。2万5千に424.5 mと書いてあるのがそれである。三角点管理人と言う名前で、ここが金鳥山と断定している。大変見苦しい説明書きのビラがベタベタと10数枚も架けてある。これが多くの混乱のもとになっていたようだ。

引き返して下山する途中で、東側に平行に通っている登山道を歩くと旗振山(405)という標識があった。江戸末期に堂島の米相場の値段をいち早く播州に伝えるため旗を振って通信手段とした多くの中継点の一つという。保久良神社からは車道を避けて、八幡神社への道を下りた。

帰宅後インターネットで再チェックをすると、424.5 mのピークは本庄山という点名の三等三角点があるところ。本当の名前は25000地形図にも出ていないので、本庄山とするのがよいのかどうかは分からない。しかし、金鳥山は地図の位置の所のP338と考えるのが自然。三角点管理人とやらが勝手に紛らわしいことをして、それで地元ではここが金鳥山ということで通ってきた可能性がある。また、三等三角点なのに「一等三角点がどうこう」というような記述があったのも好ましいことではない。その後、同様に不思議がっていた友人をそこへ案内したところ、ベタベタと貼ってあったビラが撤去されていた。どなたが撤去されたか知らないが、同じ思いのひとがいたらしい。そして、保久良神社神社辺りにいくつも出ていた「金鳥山へ」といった標識もいつの間にか消えていた。




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