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2005. 11. 02 - 16 Annapurna BC


定年になってやっとまとまった時間がとれたので、ヒマラヤのトレッキングに参加した。エベレスト街道に比べ、8000bにより近づけると思ったので、アンナプルナ内院を選ぶ。たった2人の参加者で、大名行列のような旅であった。


同行: N氏、ガイドその他8名


2005. 11 02 Bangkokへ

コースタイ

1855 関空発、2400 Bangkok着、Hotelへ。 




2005. 11. 03 Kathmanduへ

コースタイ

1030 Bangkok発、1245 Kathmandu着、Hotelへ。

朝食時にバンコックの友人と会う。Kathmanduへの飛行機はジャンボ機。窓側は取れなかったので通路側で、いつでも立てるようにしておく。天気は快晴で、国境に近づいたあたりから、ネパールヒマラヤの多くの部分がくまなく見渡せる飛行となった。多くのトレッキング客が乗っているのだがあまり関心がなかったようで、トイレ近くの窓を心おきなく独占させてもらう。東南方向から近づくので、カンチェンジュンガはかなり距離があるが堂々とした風格でそびえている。ついでマカルー、ローツェ、エベレスト、チョオユー、シシャパンマ、ランタンリルンあたりまで見えた。マナスルは丁度死角になっていたようである。ついで左側の窓に移りアンナプルナ、ドゥーラギリを見たと思う間もなく着陸体制になり、座席へと追い戻される。空港からもランタンとガネッシュが一部見えている。ごみごみとした下町を通り抜けてホテルに着き、早速打ち合わせ。同行することになるNさんに紹介される。彼は、エベレスト方面のツアーに参加した続きだという。時間があるので、Swayambhunathへ一緒に散歩に行く。Thamelの繁華街を通り抜けて徒歩で寺まで行く。かなりの高さまで登るので、町並みが一望でき、雪山の景観もひろがる。モンキーテンプルと言われるように猿が多い。ヒマラヤ最古の寺とされているが、ゴテゴテしているなという印象が強い。

Bangkok=Kathmandu間、ならびにKathmandu=Pokhara間の飛行機からの展望については別ページに記載しておくので、そちらを参照していただきたい。


2005. 11. 04 Pothanaへ

コースタイ

1035 Kathmandu発、1115 Pokhara着、1155-1247 Phedi、1420 Dhampus、1555 Pothana

少し霧があったせいか、機材のやり繰りができずに大幅な遅れがでる。観光飛行から遅れて帰ってきた10数人乗りのプロペラ機に乗り込み、2時間以上の遅れでやっとPokharaへ飛び立つ。座席は自由席というので、一番に乗り込み、最もよさそうな最後尾の右側座席をしめる。隣に山をよく知っているネパールのガイドが座ったので色々と聞けてなおさら好都合だった。昨日の国際便よりさらに間近にLantang、Ganesh、Manaslu、Annapurna Himalが順々にあらわれ、それぞれのピークもほとんど分かった。さすがに雄大な景色である。あまりにも晴れ渡りすぎて神秘性に欠けると言うのは、贅沢というものだろう。




飛行機からマナスル三山


Pokharaから車に乗りPhediに着くと、すでにサポート隊もそろっており、そこの茶店のような所を借りて、すぐに昼食となる。客は2人だけなのに、サーダー、サブガイド、コック、キッチンボーイ2人、それにポーター7人という大がかりなものである。コックの作る食事を初めて食べるがなかなかおいしくできており、これからも問題になることはなさそうと安心する。話に聞いていたサンダル履きのポーターはもはやいない。すべてズック靴などを履いている。歩き始めから30分ほどはかなりの登りで、ぐんぐんと高度をあげる。




棚田を見ながら高度をあげる



その後はゆったりとのどかな道をあるいて、1時間でDhampusの村を通り過ぎる。やがて、どこから現れたのか黒い犬が先導してくれるような形でずっと前を歩いていく。1.5時間で目的地に着く。広々としたテント場をわれわれだけが占拠する。いくら広くても1グループだけが使うようになっているらしい。場所代は600Rs。穴を掘った急ごしらえのトイレテントもできている(結局このようなトイレはここだけであり、あとは全部水で流すようになっていた)。

目の前にAnnapurna South、Hiunchuli、前山の後になんとかGlacier DomeとGangapurna、さらに右手に大きくMachhapuchhare、Annapurna IV、Annapurna II、Lamjung Himal、木々の奥にはManaslu方面も見える大変な贅沢な眺めである。少し林の中を下りていくと、Manaslu、P29、Himal Chuliがさらに邪魔ものなしで見える場所を見つけることができた。途中でも見かけたツルリンドウのような青い花がここにも群生している。ギューコパチということを教えてもらう。途中で見た茎や葉にとげのある奇妙な草の名前がロネカラということもわかった。食事を待つ間、そこの宿で作っているロキシーを飲ませて貰ったが、なかなかおいしい。

食事は宿の食堂で、そこに泊まっているフランス女性2人と一緒になって食べる。こちらはスキヤキであるが、先方は宿の食事なのですこし侘びしい。夜は予想通り、降るような星空である。トレッキングの間、水を沢山飲んで、何度もトイレに行くのがよいと教えられていたので、何度も起きたが、その度に季節の異なる星座を眺めることができた。長いこと星空を見ていなかったので多くは忘れていたが、それでも白鳥、鷲、琴、さそり、カシオペア、乙女、ペルセウス、すばる、大熊、オリオン、牡牛、大犬、双子、獅子くらいは思い出せた。はじめはほとんど新月であったが、帰るころは満月に近づいており、月明かりに照らされた白銀の山々は神々しく、この旅で印象に残った風景の一つであった。夜のトイレはとくに意識したわけではないが、無理なく3回ほど起きることができた。よく水分を採っていたのと、19:30頃にシュラフに入り、6:00まで寝ているので、途中で何回起きても睡眠不足になる心配がない。




テント場からの絶景
(Machapuchare、Annapurna IV、Annapurna II、Lamjung Himal)



2005. 11. 05 Landrungへ

コースタイ

0855 Pothana、0945-1008 Bhichok Deorali、1140-1250 Tolka、1440 Landrung

夕方は8時前に寝てしまうので、6時には素直に目が覚めてしまい、トイレに行ってしばらくすると山に朝日が射しはじめるというパターンがこの日から始まり、最後まで続く。06:18にAnnapurna IIなどが赤く染まり始め、06:40にはテント場にもポカラ方面からの朝日が射しはじめる。少年が犬と一緒にのんびりとゴミ捨てに行っている。のどかな朝である。




テント場の朝

ロッジの方に散歩に行くと、ある庭からSouthが少し陰になるものの、マナスルまでが一望できる所があった。Himal Chuliの右にBauda Peak、さらにより低い山々も見える。そこを出発して1時間もしないうちにBhichok Deoraliという小さな峠に出て小休止。全く予期していなかったが、DhaulagiriがSouthの尾根が最も低くなった所から顔を出していた。かなり遠いが堂々たる風格である。Manasluもここが最後となる。




Bhichok DeoralからAnnapurna SouthとHiunchuli



このあとは徐々に高度を下げていく。見事な棚田が川の両側に広がるが、その真ん中のTolkaで昼食。近くの姉弟がまとわりついて、われわれの持ち物に手を出して眺めている。どの子供もみんな好奇心が強い。どの家にもマリーゴールド、ブーゲンビリア、アスタチウム、エンジェルズトランペット(トプレプル)などが咲いていて、心がなごむ。道ばたにもアキノキリンソウのような黄色い背の高い花、タニウツギ、ギューコパチ、ロネカラなど数多い。花はついていないが有名なシャクナゲの大木もあちこちにある。この後も高度を下げながらLandrungの村に行く。かなりの大きな村である。テントを張らせてもらったロッジには3階建ての展望台まである。50 Rs払って、太陽熱温水器のシャワーを浴びる。早く到着するので、洗濯をする暇も結構ある。ここからはより大きくなったAnnapurna South、Hiunchuliだけが見える。村を散歩していたらロッジの主に声をかけられた。UAEに出稼ぎに行っており、今の時期は宿番をするという。両国の貧富の差はすごいものだと嘆いていた。17:31に最後の赤い色が山から消えた。




2005. 11. 06 Chomrongへ

コースタイ

0830 Landrung、1005 Modi Kholaの橋、1010-30 New Bridge、1150-1358 Jinu Danda、1450 Taulung、1530 Chomrong

早くから朝日が山頂を照らし始めるが、谷間になっているので、9時過ぎまで日は当たらず、それまでは結構冷えている。Modi Kholaを目指して下って行き、今度はJinu Dandaまで登り返し、さらに高度を稼いでChomrongまでという1日。Jinu Dandaには温泉があるというので昼食の前に行ってみる。下り15分、上り20分ほどの結構な距離である。湯船が3つほどあり、丁度よい湯加減である。学校は休みではないというのだが、子供達が大勢入っている。上の村からという妙齢の女性も4人ほど入っている。みんな裸ではなく下着付きの入浴スタイルである。ガイドやポーターも一緒に入って楽しんでいる。チャーハン、茶碗蒸しという昼食の時に缶ビールを飲むが、温泉の後のビールはやはり最高である。


   

Jinu Dandaの温泉



かなり登ってChomrongにつく。ガイドの登りは本当にゆっくりで、辛気くさいほどであるが、1日に歩く距離が短いこともあり、高山病対策としてもとてもよいのであろう。村に入る前にマオイストに観光客1人あたり1000 Rsの税金を取られている。マオイストは武力闘争をしているので有名であるが、選挙には参加しており、40%近い得票率があるとか。予想しなかったことである。かなり大きな村で、われわれが泊まったのは村を少し通り抜けて、下り道にさしかかったあたり。前が開けていてこれまでのなかで最も広々としている。目の前にAnnapurna South、Hiunchuliが見えるが、後者は前山に邪魔をされてしまい、上半身だけ。やはり近寄りすぎた感がある。右手にMachapuchareが顔を見せており、その左のAnnapurna IIIとの間にGandharba Chuliが顔を覗かせている。下に小さなグランドがあり、村の子供が色々な遊びをしている。バレーボールを2対2でやっているが、なかなかの腕前である。山桜の木が一本あり、ほぼ満開であった。

この日は途中の村で1500 Rsで手に入れたの地鶏の料理。鶏ガラのスープに始まり、焼き鳥まがい、鳥カツ、鶏肉入り野菜炒め、その他という豪華版。ロッジの食堂でなく、炊事小屋での食事となる。Nさんはロキシーを盛んに飲んでいるが、ここのロキシーは味がなく飲む気になれない。沖縄の泡盛もおいしいのとそうでないものの差が大きいが、ここのロキシーも同じである。一人でビールを飲む。




ChomrongからAnnapurna SouthとHiunchuli



2005. 11. 07 Dobanへ

コースタイ

0810 Chomrong、1030-1150 Sinuwa、1257-1310 Kurdighar、1340-52 Bamboo、1502 Doban

牛の糞に充ち満ちた道を300 mbほど下って、Chomrong Kholaを渡る。そこからはまた上り、上りとなる。最初にSinuwaという名前を見たところで一休み。日本人の奥さんを連れたNew Yorkerとしゃべる。桜の話や写真と実物の違いなどで意見が合う。それからさらに少し歩いてからReal Sinuwaという標識の村に着く。少年が木に登り、牛の餌用に枝を落としている。若い女性が4人ほどで店番をしている。だんだん昼食が早くなり、少し閉口するが、景色のよい所を優先させているようである。Machapuchareの首から上が見え、その左にAnnapurna III、その少し右に鋭いピークが見えるが多分Gandharba Chuli。

ここからあとは民家がなくなる。つまり牛糞もなくなる。Kurdigharを過ぎるとだんだん山が見えなくなってくる。予定表にはKurdigharでテントとなっていたが、ここには何もない。昔チェックポストがあったらしいが、テントも張る場所もなければ水もない。たまに咲いているツリフネソウ、オドリコソウ、カキドオシのようなものが目を楽しませてくれる。

Bambooも文字通り竹の多い所で、よい感じであるが、展望はない。今日の泊まりはDobanとなった。どこでもテント場に困ることはなく、ロッジで泊まっていたにせよ、部屋がないということはなさそうであった。Dobanにはロッジが4軒あるが、3軒まで電気がともっている。これは村の入り口にある、6年前に導入した3kWの水力発電機によるもの。電灯と水を温めるのには十分で、水量は一年を通して問題ないとの説明である。この日はポーターの到着が遅く、少し寒い思いをした。山は見えず、狭くなったModi Kholaが下を流れているテント場である。夕食は野菜の天ぷらが中心で、炊事に使っていた竹で編んだ小屋での食事となる。電気も灯っているのでよい感じである。さすがにこのような谷間に入ってくると、夜の星が少ない。




2005. 11. 08 Deoraliへ

コースタイ

0
830 Doban、1030-1236 Himalayas Hotel、1335-39 Hinko、1415 Deorali

Machapuchareの後から弱々しい朝日が射しはじめる。今日の行程はますます短くなり、1030には昼食場につき、テント場には14時過ぎに着くといった有様。しかし、これが高山病対策によいのだから仕方がない。対岸に色づいた木々が目につき、草花はめっきりと減る。道ばたのイチゴの葉に霜が降りている。つる性のダンボという白いふわふわの実のようなものが多い。やがて視界が開け、Modi Kholaの先にHimalayas Hotelの青い屋根が見えるようになる。両岸の切り立った断崖は迫力満点である。この時期の水量は大したことないが、スケールの大きい滝も多い。

食事をしたHimalayas Hotelの周辺にはヒマラヤケシのみずみずしい葉が沢山ある。花は黄色らしいが、4000 bを越えた所には青い花が咲くという。枯れた茎も結構の背丈なので驚いた。予定表にはHinko宿泊とあったが、ここも岩屋があるだけでテントを張るというような場所ではない。やがて初めて残雪を目にする。このあたりが森林限界で、このあと大きな木は見なくなる。グミの実を小さくしたような赤い実をたわわにつけたチュットロという木が彩りを添えている。

宿泊地のDeoraliでは再び両岸が迫り、Machhapuchhareなども見えなくなる。その前衛のピークが目の前に高くそびえている。宿の人に聞くとカロピークという。時間が早かったので少し洗濯したら、てきめんに頭痛を覚えた。さすがに3300 mとなったので激しく動くといけない。夕食までに、少しだけ高い所まで山を見に行ったが、ビスタリ、ビスタリの動きでないと歩けなかった。テントの中でも、シュラフに入ろうとするなどの動きをするのも大儀だし、夜中にも少し頭痛で目が覚める。頭痛がしても少し深呼吸すると治まる程度であった。この夜が一番きつかったであろう。頭からシュラフをかぶり、冷やさないのがよいと翌朝教えられた。




Deoraliから見上げるカロピーク



2005. 11. 09 Machapuchare BCへ

コースタイ

0816 Deorali発、0907 Bagal、0912 広河原、1047 下のMachhapuchhare BC着。

Modi Kholaの下流のTansen山に日が当たるが、テント場周囲には日が射す気配はない。かなり厚着して出発する。いつもは10分もすれば上着を脱ぎたくなるのであるが、今日はさすがに日が当たるまで脱ぐ気にならなかった。当初Gangapurnaが正面に見えていたが、いつの間にかGlacier Domeが正面になる。MBCの直前で初めてAnnapurna Iを拝む。MBCは下の一軒と上にもう少し沢山のロッジがあるが、われわれは下に腰を据えるようである。ここはGangapurnaとGlacier Domeを両方眺めることのできる唯一の場所と謳っているが、地図のGlacier Domeではなくその東にある同程度の高さのピークのことを指しているようである。




MBCからのGangapurna


昼食後、上の集落の裏になる小さな尾根に上がってみる。ちょっと登っただけであるが景観が大きく変わる。Modi Kohlaが二つに分かれる所を真上から見下ろす形になり、Gangapurnaとかすかに双耳峰となっているAnnapurna IIIが目の前に並んで見えるようになる。Annapurna Iはむしろ見えにくくなる。3800 b位まで上がったが、ゆっくりと行動している限りとくに問題はなかった。夕焼けのMachapuchareの周りを雲がたえず流れてはいるが完全には晴れず、赤く染まった雲が徐々に灰色に変わるまでいつまでも飽きずに眺めていた。どこでもそうであるが、このような夕暮れのゆったりした時間はなにものにも代え難い豊かなものである。





Machapuchare


Machapuchareの夕暮れ



2005. 11. 10 Annapurna BCへ

コースタイ

0854 Machhapuchhare BC出、1117 Annapurna BC着、1300 ABC発、1335-1403 丘の上のケルン、1416 ABC帰着、1450 ABC発、1540-1545  Annapurna Southの氷河に最接近、1607 ABC着。

いつもより多少目覚めが遅かったが、モルゲンロートには間に合う。MBCの裏の丘まで登ってFangからAnnapurnaに朝日が射すのを待つ。それが終わってGangapurnaに射す朝日を見ようと、少し急いで高みに登るとやはり息が切れる。実際には、それほど急いでいるというのではない。折角息をきらしたのに、いくら待ってもそちらには日が当たらなかった。

今日も短いコースである。10日ほど前に降った雪がほとんどのコースを覆っており、大変気分がよかった。ABCも立派な施設が揃っており、その端の好展望地にテントを張る。Hiunchuli、Annapurna South、Varhha Shikar(Fang)、Annapurna I、Khansar Kang(Roc Noir)、Singu Chuli、Tarke Kang(Glacier Dome)、Tent peak、Annapurna III、Gandharba Chuli、Machhapuchhare が見えている。地図も、ガイドブックも、絵はがきも、ガイドの言うこともすべて疑ってみないといけない。Singu Chuliさえ何度も議論してやっと本当のことがわかったくらいである。いわんやTarke Kangはもっとも分かりにくかった。Singu Chuliの右後ろにかすかに見える雪の尾根が地図上のTarke Kangであると結論するのに2日かかった。われわれの持っている地図ではTent peakのうしろにSingu Chuliがあり、その左にTarke Kangが見えることになっているが、これは地図のまちがい。Annapurna Iがどれかという議論をしなかったが、3つほどピークが見えるうち一番左に一番低く見えるのが最高峰であることを、帰国してからAnnapurna南面を登擧したルート図を見て確認した。エルゾーグの本に出てくる東峰というのが一番右の最も高く見えるものではないだろうか。Annapurna Southも、目の前に見えているのは頂上ではなく、その左手の雪の多い稜線の一部が最高峰であろう。目の前のはPokharaからの写真でSouthの頂上の右に出っ張っているずんぐりしたピークなのであろうか。これをAnnapurna Iと誤同定している絵はがきもあるくらいである。Mahhapuhhareは右手に見える南側が最高峰。

昼食後、2人とも元気があるので裏の丘に登ることにする。かなりの傾斜の雪面であるが、ズック靴のサーダーが先頭で登る。35分休みなしに登って、一区切りとなるケルンのある所に達する。これが今回の山行の最高地点。BCが4130bというので、4250b程度にはなっているのだろうか。ここからはMBCの人の言うTarke Kangもかすかに見え、もちろんGangapurna、Annapurna III、Gandharba Chuli、Machhapuchhareはより立派に見える。Singu Chuliの右後ろのTarke Kangの稜線も顕著になっている。Annapurna Southも間近に迫るが、本当の頂上の続きらしい雪の稜線の形は、ABCからの視野と変わらない。ゆっくりと休み、壮大な光景を満喫する。




ABCの上の丘から見たMachhapuchhare


ABCの上の丘から見たAnnapuruna South



まっすぐ小屋まで下りて、お茶を飲んだ後、氷河に近いところまで散歩する。今度はAnnapurna氷河を見下ろす縁を登っていく。モレーンの小丘が点々と続いている。数十年前はここも氷河だったのだろう。Annapurna South氷河に近づいたころには日も傾き、明瞭なコントラストがなくなっていた。それ以上接近することはそう簡単でない。この日のMachapuchareは雲のないAbentrotを楽しむことができた。夜の気温は氷点下3-4 ℃程度だった。



氷河の上に聳えるAnnapuruna I峰




ABCから見たMachapuchareの夕暮れ



2005. 11. 11 Bambooへ

コースタイ

0900 ABC出、1010-20 MBC、1140 Deorali、1200 Hinko、1230-1335 Himalayas Hotel、1506 Doban、1600 Bamboo

予定では、ABCに2泊となっているが、もう1日過ごす理由が見あたらないし、最後の日が少しきついので、Nayapulでもう1泊することにしてはというサーダーの意見がでた。日没、日の出時の天気もよかったし、散歩もできたので、反対する理由はない。ただし、Nayapulでの1泊というのはいかにも面白くなそうでなので、Pokharaで1泊はどうかと提案。ポーター達の仕事は1日減るし、われわれはホテル代を出さないといけないが、Pokharaには安くて、そこそこよいホテルがあるというのでその線で話がまとまる。この日の泊まりはDobanという提案であったが、別の所に泊まるのも面白いだろうと、もう一足延ばしてBambooにしてもらう。

この朝も快晴。Annapurna I、Varhha Shikar(Fang)、Annapurna Southに最初の朝日があたり、しばらくしてHiunchuli、次にKhansar Kang(Roc Noir)とTarke Kang(Glacier Dome)、さらにSingu Chuli、Annapurna III、Tent peakとつぎつぎに夜が明けていった。いつもより少しゆっくりして、思う存分楽しんでから出発する。Tarke Kangのことをもう一度確認するため、MBCで立ち止まる。小屋の人は、やはりMBCから見えているのがTarke Kangであるという。地図とMBCの両方が間違いでないとするには、Tarke Kangは4つの7200b程度のピークの集合体の名であるとすればよい。Varhha Shikarが12の峰を意味する名前であるらしいが、丁度そのように一つの名前が多くの峰をさしていてもおかしくはない。そう結論してすっきりした気分になり、空気の濃い方へと下っていく。

この日の昼食に、はじめて食欲を感じないものがでた。食後はサーダー達と別れて勝手に歩きたいと申し出て、ゆっくり歩く。1時間ほど歩いた所で白猿の群れと出会う。最初3匹だけかと思ったが、次々と沢山の猿が枝を揺らせて飛び交っている。まるで木と木の間に道路が通じているかのようである。途中の湧き水があまりにもきれいだったので、一口飲んが、なにも問題はなかった。かなり色づいた木々が対岸には目につくが、右岸にはあまりない。深く切れ込んだ渓谷はスケールが大きく、今回の最も印象に残る景色の一つであった。Himalayan HotelとBambooの間を2時間半かけて歩いたが、ガイド達は半分の時間だったとか。Nさんはもう少し速く歩きたそうであったでが、付き合ってくれた。




大渓谷からMachhapuchhareを振り返る


2005. 11. 12 Chomrongへ

コースタイ

0824 Bamboo出、0910-26 Kurghar、1048-1300 Sinuwa、1515 Chomrong

この日も太陽を拝めたのは10時近かった。時間が余ってしまいそうなので、ポーターがいつも休憩する場所で休憩する。雲母の多い場所である。右岸の景色はCaliforniaの山肌を見ているような感じである。



Annapuruna III峰とMachapuchare

Sinuwaに着くと、すぐに昼食がでてくる。せめて11:30にして欲しい所である。終わってからまた例の4人娘がでてきて、貸してやった単眼鏡を取り合いして見ている。主人は45才で、3人の娘と1人の息子がいるという。6部屋あり、最大で18人泊められるが、客の数は0、1、……15とまちまちという。それほど多いというのでもなさそう。こんな景色のよい所で幸せだなというと、「お前ここにいるか、俺が日本に行くから代わろうか」という。貧富の問題は、サーダーと歩きながら話していたことでもある。

この日も食後は適当に歩こうと提案する。Nさんは先に下っていき、1人ゆっくりしようとするが、二人のガイドはぴったりと後ろをついて離れない。仕方ないので一緒に歩くことにし、3人でゴミを拾いながら歩こうかと提案する。1人が袋をもち、2人がそれに入れる役。多分彼らは不潔なのがきらいで、牛の糞やらつばの吐きかけられたものを触りたくないらしい。箸のようなものを探し出してきて、それで拾っている。色々なことが分かった。捨てているのは、トレッカーよりはネパール人が多いということ、ある種のガムの人気が大きいこと、インスタントラーメンをかじり、スープの素をなめながら歩いているポーター達がいるということ、道ばたの人も好意的に応援してくれたこと。高みで見物していた女の子は「そこにも落ちているよ」と教えてくれたし、土産物売りの男は「Good policy!」と言っていたが、手伝おうと言う人はいなかった。

山桜が満開に近くなっている。濃いピンク色の花びらの間にかなりの隙間がある点で日本のものと違いそうである。Chomrongに着くと、前と同じ所にテントを張っていた。NECツーリストの10人足らずのグループがこれから登るらしく隣のサイトに陣取っていた。昨日ABCで一緒になったスイス人が1人で近くに座っていたので、少ししゃべる。Zuerichのトラック運転手という。Pokharaから1人のガイドを雇って来ているのだが、ガイド料、ロッジ料に100 $ 払えば、あとは自分の食事代だけだという。メニューを研究してみたが、たとえば朝にシリアル/ミルク、卵2個、コーヒーなら、230 Rs、昼にスープ、スパゲッティ、コーヒーなら350 Rs、夜に缶ビール、スープ、卵チャーハン、紅茶とすると400 Rsといった調子なので、休憩場所毎に飲み物を買うにしても1日1500 Rsもあればよい。10日なら2.6万円。ガイド/ロッジの100 $ を含めて4万円である。これに日本からの航空券、都市部での宿泊、登山口までのバス・タクシー代、入山料その他を足せばよいのである。宿泊料はSingle bed/common bathでは100 Rs、Double bed/bathでは300 Rsといった程度。PokharaでのホテルはDouble bed/bathで一人500 Rsだった。

夕食はまた鶏料理のオンパレード。鶏スープ、フライドチキン、皮を炒めたもの、ネパール風辛い骨付き肉、鶏入り野菜天ぷら、なす、漬け物、フルーツ。即席で作った沢庵も上手なものである。塩、醤油、ウコン、レモンなどを使って4-5日で仕上げるとか。天候は今日から少し下り坂で、Annapurna SouthとHiunchuliも雲に大半が隠されている。夜になっても星は出なかった。



2005. 11. 13 Ghandrungへ

コースタイ

0830 Chomrong、1028-52 Kimrong Kohla、1200-1315 Kimrong Danda、1413 Ghandrung入口、1500 Ghandrungテント場。

出発前に水力発電機を上流へ運ぶポーターの一群を見る。Chomrongの村を出ると真下にJhinu Dandaが見える。こんな急な所を登った記憶がないのであるが、ゆっくりゆっくりのペースだったためであろう。そのかなり上のTaulungで道を右に取り、未知のコースとなる。見事な紅葉が所々にあるが、それと同時に山桜のようなもの、しだれ桜もあるのが非常に奇異であった。黄緑色をした美しいParakeetの群舞を眺め、ゆったりとKimrong Kohlaへと下りていく。サーダーが、すぐ手前にある茶店で休憩にしようと言ったが、河原で休むことにしてもらい、橋のそばでかなりゆっくりする。そこからは1時間ほどの登りでKimrong Dandaに着く。昼食の場所である。

登っている途中で何度かかなり形のよいMahhapuhhareが見えたが、昼食の間は雲に隠れてなかなか出てこない。何人かの聡明そうな感じの男の子が好奇心一杯の目で寄ってくる。学校はあるはずだが今日は休んだという。お母さんが行かなくてもよいと言ったとか言わないとか。Ghandrungの学校まで2時間かかると言うが、そんな距離ではない。遊びながら行くのでそんな時間がかかるらしい。いずれにせよ学校は10時に始まるらしく、このあとも思いもかけない時刻に登校途中の学生に出会う。

丁度真向かいの同じほどの高さのGhandrungを目指す。ここらで一番大きな村で学校やら公民館やらが揃っている。石で作られた家並は大変整っており、美しい景観を作っている。民族資料館のようなものもいくつかあり、その一つに入る。外国人だけ30 Rs取られる。日本のそれとよく似た構成になっているが、民具などにそれなりの特徴がある。今夜は最終日なので、食事前にポーター達と一緒につまみを食べて酒を飲む。やはりロキシーは駄目なのでビールにする。ネパールや日本の歌を歌ったりするが、Nさんは盛り上げるのがうまい。最後はガイド、コック、ポーターが一緒に同じ食事をしていた。ポーターだけ手で食べ、あとはスプーンを使っていた。初めての土地なのに、夕刻、夜、翌朝とも山は見えなかったのが残念であった。





Ghandrungの町並み




2005. 11. 14 Pokharaへ

コースタイ

0755 Ghandrung、0840 Kimche、0940 Shaule Bazar、1115-1300 Nayapul、1435 PokharaのGuest House。

Pokharaからの迎えの車を手配するのにどこにも電話がない。電話のある所まで行くためサブサーダーは朝早く出て行く。昔はGhandrungにもNayapulにも電話はあったが、マオイストが不便になるように撤去したという。われわれも多少は早く出発する。棚田の見事な風景を楽しみながら、下るだけの半日である。だんだん村も大きくなり、KimcheやShaule Bazarは通り抜けるのに15分、30分とかかる。道がだんだん太くなっていくのも日本と同じで、下りてきたなあという実感を味わう。数年後にはここにも車が入るのだろうなどと想像しながら、国道のすぐ下の川縁の茶店に着く。しばらくすると先発が戻ってきて、車の手配が済んだという。かなり苦労したようであった。ここが最後の昼食の場所で、前から頼んでおいたネパール風のカレーを食べさせて貰う。大変おいしい。橋を渡り、最後の坂を少し登って車を待つ。その間にやってきた一般のバスにポーター達が乗り込んで帰っていく。やがてやってきた車に乗り込み、Pokharaに行く。




別れる前の記念撮影


Pokharaのホテルは湖畔の便利な所にあり、500 Rsは安い。時間があるのでタクシーをチャーターして山岳博物館に行く。30分待って貰うのを含めて300 Rsという約束だったのに、1.5時間ほど待たせてしまった。ここの国では「時は金なり」ではないのである。各登山隊が初登頂時に使った道具を展示してあるのが興味深かった。大きな山の写真も迫力あった。ネパールの各民族の紹介も丁寧に読んで回れないくらいの量であった。子供達も遊びに来るような施設になっている。夕食はネパールの歌やダンスを見ながら食べられる「ブーメラン」という店に行く。3人で1600 Rs。



2005. 11. 15 Khathmanduへ

コースタイ

0900 Hotel、0920 Old Bazar、0940-55 Bindyabasini寺、1012-37 Sarankotの丘、1102 Hotel、1230 空港へ、1340 Pokhara発、1400 Kathmandu着、1500 Hotel出、1530-1732 Patan、1830-2000 Thamel Houseで夕食。

飛行機まで時間があるので、またタクシーに乗り、Old Bazar、殺戮神などを祭るBindyabasini寺、Sarankotの丘へと向かう。丘からはMachapuchareが少しだけ見えただけであるが、大体どの程度の大きさに見えるのかは分かった。時間が経つにつれて展望が悪くなるので、頂上まで登らずに帰る。昼食までの時間を使って、Internet shopから家に電話し、internetをチェックする。昼食はホテルでダルマートを出して貰う。

Kathmanduへの飛行もまたすばらしかった。Manaslu、Ganeshなどがすぐそこであった。Kathmanduのホテルについてからは、Nさんがすでに行ったというPatanへ行きたかったので別行動とし、タクシーで行った。日が傾く頃であったが、普段見慣れないヒンズー教や仏教の優れた美術品を陳列してあるMuseumもゆっくり見ることができた。その他の寺院は外から見るだけだった。帰りはバスにチャレンジした。繁華街のThamelで下車するつもりだったので心配していなかった。しかし、満員なのにほとんど誰も下車しなかったので、横に座ったインテリの人が世話をやいてくれなかったら乗り過ごすところだった。

Thamelでは買い物が目的でなく、食事だけと思っていたが、ほとんど食堂はない。たまたま入った店が本格的なネパール料理店だったのでよかった。座布団に座ると、コース料理を持ってくる。サービスで飲ませてくれた60%のロキシーは米から作った自家製のものというが、これは本当においしかった。これならいくらでもお代わりできたが、2杯で結構まわってきたので、それ以上は自重しておいた。




2005. 11. 16 Bangkok経由で帰国の途へ

コースタイ

0830-42 バスでJamalへ、0904-45 Durbar Square、1015 Hotel帰着、1350 Kathmandu発、1815 Bangkok着。2359 Bangkok発。

出発までの時間を利用して、繁華街の一つDurbar Squareを歩く。飛行機はかなり遅れて出るが、案内が大変不親切であった。Bangkokから関空への飛行機もトラブルのため、離陸は2時間ほど遅れて、夜中の2時となる。ほとんどの人は乗り込むと同時に寝てしまったが、あまり食べていなかったので、スナックとビールを貰い空腹を紛らせた。



KathmanduのDurbar Square


長い旅ではあったが、トレッキング中の食欲不振、頭痛、下痢、腹痛などとは無縁で、幸いだった。初めて見るヒマラヤの景観はさすがに圧倒的な力をもっていた。ネパールの人々の生活を垣間見ることができたのもよかった。もう一度行きたいかと言われると、少し返事に困る。やはり、自分で考えないお仕着せの旅は魅力が半減するからだろう。今回のが、不都合だったというのでは全くないのであるが。次回もし行くのなら、案内は頼むとしても、基本的には一人で歩いてみたい。それができそうだという感触をもった。



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