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2005. 7. 7 姑堂峰(802) (韓国、釜山)

帰国前の一日を釜山(Busan)で泊まる。いろいろと見たいところがあったが、温泉があり、大規模な金井山城(Geumjeongsanseong)という史跡とハイキングトレールが一緒になったところがあるという理由で東莱(Dongnae)を選ぶ。慶州から昼前についてホテルに荷物を置く。部屋が空いていれば入れてくれるので、融通の利かない日本と違ってありがたい。

同行: 単独


コースタイ

1205 ロープウェイ上、1225 南門、1250 車道、1300-1303 東門、1348-1351 展望台、1415 北門、1436-1453 姑堂峰、1513 北門、1545-1613 梵魚寺、1647 地下鉄梵魚寺駅

歩き始める前に、金剛(Kumgang)公園の前にある小さな店で早目の昼食をとる。言葉が通じないのでなんでもよいからと頼むと、まあまあ好みの料理がでてきた。焼き魚が美味しい。これから汗をかきそうだからと自分に言い訳してビールを飲んでおく。

公園の入り口でさっそく「日帝蛮行犠牲者慰霊碑」なるものが出迎えてくれる。出発が遅いので、歩かずに片道300円のロープウェイに乗る。山に入ると大勢の人が歩いているが、色々と道が入り組んでおり、少し分かりにくい。前を歩くおじいさんに南門(Nammun)への道を確かめる。聞きながら正しい発音を習うためでもある。教えてくれただけでなく、そのあとも何度も振り返っているので、そんなに珍しいのかと思っていたら、そうではなく要所、要所でこちらに行きなさいと案内してくれていたのであった。ミチシルベという虫があるが、そのような感じで、さりげない親切さが嬉しい。南門からは別の方角に行くらしく、丁寧に東門(Dongmun)から北門(Bukmun)への道を手振りで教えてくれる。

よく整備された広い公園の散歩道という感じの所を歩く。
あちこちに料理までしている屋台のようなものがあり、くつろいだハイカーが利用している。やがて正面に目指す姑堂峰(Godangbong)が遠く、高く見えてくる。東門からは千里の長城といわれる城壁に沿って歩くようになる。城砦は日帝時代に破壊されたのを70年代になって修復したものらしい。慶州でもそうであったが、韓国ではその時期になってやっと史跡の発掘や修復をする余裕が出てきたのであろう。あちこちで大々的に整備が進んでいるという様子である。城壁の向こうには町が広がり、前方の景色もかなり広がってくる。北門に近づくにつれ頂上が平たくなっている姑堂峰が大きくなってくる。北門から200 m程の高度差があるが、登り一方なので20分ほどで岩が重なり合った頂上に到着する。西側が始めて見えたが、洛東江がすぐ下に見える。霞んではいるが周りも一応見渡せる。岩の間に可愛らしい花が顔を出している。汗がひくまでゆっくりとする。気持ちのよい場所を選んでハイカーがあちこちで頂上を楽しんでいるが、日本と全く変わらない風景である。




展望台周辺 
 

目指す姑堂峰


北門に戻り、韓国の禅寺の総本山という梵魚寺への道をたどる。あちこちであったトラノオがここでも多い。ムクゲもそろそろ終わりなのか多くの花を道に落としている。巨大な石が転がっている河原で顔や手を洗い、喉を潤す。すぐあとに右より沢が合流していたが、こちらの水の方がよさそうであった。やがて大きな梵魚寺(Beomosa)に着く。子坊主くんを主役にしたテレビの撮影をしている。678年の創建で当時は360棟の殿閣があったが、壬申倭乱で多くを焼失したという。秀吉はなにを目的にこんな所まで来たのか理解できない。元が日本に攻めてきたのを理解できないのと同じである。ここからはバスもタクシーもあるが、下り道なので駅まで歩くことにする。その方が町の様子が分かるからである。駅への道を女子中学生に聞いたが、一生懸命教えようとしてくれた。正しく教えてくれたらしく、大通りに出た所は地下鉄の入り口であった。

ホテルに戻って、大規模な温泉設備で汗を流してから、近くのカルビ店で本場の味を楽しんだ。鉄板の中央にキムチとニンニクを置いて焼いたあと、青野菜、白菜、サラダ等々と一緒に口に入れるという食べ方である。客が少ないので、おばさんが付きっ切りで食べ方を教えてくれる。終わってからご飯だけ注文したつもりでいたら、例によって10品くらいのおかずと一緒に出されて、とても食べ切れなかった。昼にも食べたツォンギという焼き魚がおいしかった。




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