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04. 12. 21  
六甲山(全山縦走路東半)


こちらに来てはじめて六甲を本格的に歩く。今日の目的は長距離歩くことでなく、東六甲のピークをできるだけ立ち寄ってみようというもの。

同行: 単独

   

コースタイ

755 阪急宝塚駅、838-842 塩尾寺(えんぺいじ)、858 生瀬分岐、900 岩倉山(488)、909 譲葉台分岐、911-916 譲葉山(514)往復、920 赤子谷分岐、934-949 岩原山(573)往復、1005 大谷乗越、1024-1036 大平山(682)、1041-1043 P690+、1054-1104 P720+を往復、1112 船坂峠、1136 水無山(804)、1158-1203 石の宝殿往復、1206-1220 後鉢巻山(898)往復、1225-1252 一軒茶屋、1258-1302 六甲山(931)、1306-1317 P900+を往復、1317-1339 P866(国土地理院では西お多福山)往復、1350-1408 一般に言われている西お多福山(867)往復、1428-1430 P880の西側のピーク往復、1445 ガーデンテラス、1450 五助谷コース分岐、1459 ガーデンテラスから山道へ、1510 石切道へ、1545 西山橋への車道と分れる、1549 十字路、1601 住吉霊園の横、1608 打越山への分岐、1627 住吉台団地、1642 落合橋、1700 阪急御影駅

天気予報は晴れのち曇りとあったので、オーバーズボンなし、シャツ2枚に薄いウィンドブレーカーだけの軽装で出かけた。途中でもう少しがよかったかなと後悔する。宝塚駅から甲子園学園を目指して塩谷川の横を登る。川べりに薄い赤色の実を沢山付けた枯れ枝があった。遠くてよく分からなかったが多分見たことのない木だ。塩尾寺への案内が出てきて、エンペイジと読むことを知る。塩尾寺休憩所、貯水場などがあり、展望が開けるが、下界は靄がかかりすっきりしない。40分ほどで着いた塩尾寺は聖徳太子が建立したものと説明がある。寺そのものは、損壊したものを最近立て直したものらしく、風格がない。登り始めてから石の宝殿までの間、誰にも会わなかった。静かな冬の山に、時折鳥のさえずりと木々の葉ずれの音がするだけである。道はかなりえぐられて深い溝状になっている。軽アイゼンでも付けて歩いている人がいるのだろうか、爪痕が沢山ついている。





塩尾寺へ登る途中で宝塚を見下ろす



小さなピークに赤い鳥居などがあったので岩倉山かと思ったが、岩倉山はさらに10分ほど先で、生瀬への分岐のすぐあとだった。とくに案内もなく、危うく見落とすところだった。逆向きに歩いていたら分らなかったであろう。時々きれいな青空がひろがる。譲葉台団地への分岐のあと、目をこらして譲葉山を探す。これまで逆瀬台の父親のマンションから朝のジョギングで登ってきて、2度も頂上に到達できなかったからである。3枚もの標識があったので、頂上に登れたことは間違いない。登り口は全くそれらしくない。降りてきてはじめて、貼ってあったテープが登り口であることを物語っていたことに気がつく。

それを過ぎるとすぐに南側の展望が開けるので、それが目安になる。やがて33番の大きな標識があり、右手に尾根に登るかぼそい道がある。岩原山へのものに違いないと登っていくと、これはやや確かな道で頂上に楽に達する。宝塚の最高峰と誇らしげに書いてある。展望はないが、北側の木の間から蓬莱峡の岸壁を見ることができた。大型ゴミの散らばる車道を横切り、大平山を目指す。大きなアンテナが2本あるが、少なくとも1本はドコモのもの。なんと、下界ではとっくに時期を過ぎたアキノキリンソウが沢山咲いている。ヒノキも目立つ。P690+、P720+をこまめに往復し、やがて船坂峠につく。なんとなく昔ながらの峠という感じで好ましい。






太平山の無線中継所



北の方角はどんよりと重い雲に包まれている。水無山近辺も見晴しはない。南側に降りる獣道に近い道がついている。芦有ドライブウェイの宝殿橋ゲートが下に見下ろせる。すぐに石の宝殿につく。ここも一応登って、お参りしておく。後鉢巻山も登っておく予定だったが、よく分からないのでトンネルの手前で右の方に建設用の道路があったのでそちらに入っていく。すぐに下り始めたので、軍手をはめて適当な所から薮を登る。トゲのある木で顔をこすり、拭うと軍手が血で赤くなる。アンテナに近寄ると関西電力六甲無線局とある。最近は多くの山のピークがこのような施設に占拠されており、最高点を踏むことが難しくなった。緑の実とナスのような白い花を付けた灌木が植わっている。これも知らない木である。下りはよい山道があり、すぐに縦走路と出会う。無理しなくても登れたという訳である。

一応ここまでのピークを歩き終えたので心おきなく一軒茶屋でのビール付の昼食とする。朝から4時間半の間、一度も座らなかった。六甲からの眺望図が掲げてある。大台ヶ原より大峰山の方がはるかにどっしりと見えるらしいのに少し驚いた。食後すぐに六甲山最高峰に挨拶したあと、P900+に登る。縦走路はその北側を巻いているが、そこからはずれてピークに登る。ここも道は全くないが、驚いたことに頂上には5m四方程度の大きさの遺構がある。下りは南側の道路の方へ直接下り、国土地理院では西お多福山とされているP865を目指す。ここも物好きな人が歩いているらしく、所々に赤テープがぶら下がっている。このような所を歩く人にはそのようなものが必要ないと思うのだが。とうとう小雪が舞いはじめた。一般に言われている西お多福山(878)の鉄塔も見えないくらいになってしまった。そこへ行くには谷へ降りて登り直すのが直線的でよいのだが、時間がかかりすぎそうだし、目標が見えないので、やはり元の道に戻ることにする。結果的にはこれが正解で、短時間で所謂西お多福山に行くことができた。ここは建設省近畿地方建設局が占拠しているが、頂上そのものは少し離れたところにあり、ピークを踏むことができた。先に道があるので少し進んでみるが、方向が東南を向き、道も踏まれていないので引き返す。





六甲山最高峰





西お多福山からガーデンテラスを望む



その後縦走路に戻り、西へと歩き続ける。880mを越えるピークが2つあるが、とくに名もないので初めのは省略する。2つ目はすぐそこなので登っておく。1分とかからない。さらに進むとアンテナの林立するガーデンテラス(旧凌雲台)となる。あちこちが工事中だった。五助谷コースへの分岐になるが「道がはっきりしないので要注意」とある。時間がなくなり暗くなってから沢で道を探すのもぞっとしないので、通り過ぎて石切道を下ることにする。





見事なアセビの群生





石切道の彩り



冬至なので日が暮れるのも早い。暗くなるまでに下ることができるかどうか、少し心配になった。なんとか大丈夫であろうと見込み、ケーブルを使うのを避けて足で下ることにする。しばらくして白鶴美術館まで5.5kmという標識があり、まず大丈夫と考える。石切道の名の通り、花崗岩の石がゴロゴロする道だ。30分ほどで車道に出てあとはいくら暗くなっても大丈夫と安心したが、そのうちまた山道に入るといったことを何度か繰り返し、住吉霊園の横を通り過ぎ、下り始めて90分ほどで住吉台団地の一角に降り立った。30分で阪急御影駅。

予定したピークにはほとんど登ることができた。週日のせいもあり、ハイカーにはほとんど会わなかった。9時間のうち、昼食の30分は別として、残りは腰掛けることもなく歩き続けた。昼食、寄り道を除いた全山縦走路部分の歩行時間は7時間足らず。






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